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時論

⇧認知症の母が見せる、時に目を見開いて筆者(息子と認識してか?)を見つめ、また時に首を傾げた虚ろな表情は、無垢で移り気な猫の如し

※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

⇧母が入所する大阪府堺市内の介護老人保健施設(老健)、様々な専門職の方々に24時間体制でお世話になって早や2年半が経過

①有吉佐和子氏『恍惚(こうこつ)の人』

今からおよそ半世紀前の1972年(昭和47年)に発表された、作家・有吉佐和子氏によるベストセラー『恍惚(こうこつ)の人』は、近年の「認知症」(昭和期~平成期半ばの呼称は「痴呆症」)および「高齢者介護」問題に先鞭を付けた長編小説である。「恍惚」とは物忘れが激しいなど、老齢や病気のために意識がぼんやりしたさまをいう。翌1973年(昭和48年)には東宝配給・豊田四郎監督、森繁久彌氏(立花茂造)の主演、高峰秀子氏(立花昭子)、田村高廣氏(立花信利)、乙羽信子氏(京子)らによる映画化 公式オンラインストア恍惚の人 〈DVD〉: Blu-ray・DVD・CD もされた。当時の白黒映像であっても、とりわけ森繁氏、高峰氏の二大名優の迫真の演技による、その切実な介護の描写が筆者をして痛く身につまさせる。

令和の現在、痴呆高齢者を扱った同書はますます今日性を強めている。社会福祉学者の森幹郎(もりみきお)氏が同書(新潮社)末尾の「解説」で以下言及している(引用・抜粋・下線・括弧内、筆者)。これらは驚くべきことに1982年(昭和57年)当時の社会状況であり、現在はそこからさらに40年余りもの時間が経過している。

『本書で中心的な役割を果たすのは、茂造老人を献身的に介護する長男の妻・昭子である。その介護ぶりは、感嘆の一語に尽きる。昭子の夫、つまり、茂造の長男信利は、終始、悪役である。(中略)信利が、「僕の人生の延長線上に親爺(おやじ)が立ちふさがって」いると言っているのも事実で、「耄碌(もうろく)している父親は、信利がこれから生きて行く人生の行きつく彼方に立っている自分自身の映像なのだ」というのも全く正しい。そんなことを思うと、やりきれなくなってくる。信利の気持ちも理解できるのである。(中略)また、若い老人福祉指導主事は「誰かが犠牲にならなくちゃいけないんだ」と言っているが、人々は、痴呆の老人をかかえたら、「親孝行」と「家庭崩壊」とのバランスをどのように考えるのだろうか。』

『昭和三十六年、国民皆年金の体制がしかれたが、老齢年金というのも、言ってみれば、老人の経済面での扶養を、労働者世代が引き受けるということに外ならない。だから、老齢年金さえあれば、毎日の生活はいちおうは保障されるはずである。また、そのようにしていかなければならない。しかし、それも、心身ともに元気なうちだけである。病弱になり、毎日の生活に他人の手をかりなければならないようになったら、もう老齢年金だけでは生活していくことができない。「茂造」老人のように、日々の介護が必要だからである。』

『当局のねたきり老人対策に対する関心はつとに早く、精粗の差こそあるが、昭和三十五年以来ほとんど毎年その全国調査が行われている。(中略)しかし、痴呆や精神薄弱など、精神障害の老人については、いまだに一回も全国調査が行われていない。問題はプライバシーに深くかかわることであり、調査をするといっても容易でないことはよく分かる。けれども、調査をしなければ実態は分からない。実態が分からなければ社会システムのプログラムは立てられるはずもないのである。』

『恍惚の人』で84歳の茂造老人は、長年連れ添った伴侶の突然の死を契機に痴呆症(徘徊や奇行)が表面化する。筆者も振り返るに十余年前の筆者父逝去の後、少なくとも「令和」に入ってより、母の認知症が徐々に顕在化したように記憶する。生来、饒舌(じょうぜつ)で勁烈(けいれつ)な気性をもち、世の「恍惚の人」(他者)を幾度となく揶揄していた母自身が認知症を発症し、「幼児退行」を伴う重い要介護者となるなど筆者にとり夢にも思わぬ仕儀であった。

『恍惚の人』は、およそ半世紀前の日本社会では当然であった、痴呆高齢者への家族自身による「在宅介護」の苦闘を描いたものであった。同書で描かれるように当時は、痴呆高齢者は家族の手に余れば精神病院への入院ぐらいしか考慮されえなかった。しかしその後の科学技術の進歩(医学の発達)は日本人の平均寿命を飛躍的に伸ばし、高齢者人口の急激な増大をもたらした。また家族介護の限界に伴い全国の介護施設数は爆発的に増加した。

令和の今、筆者にあるのは現在85歳になる痴呆の母の安否を想う心と、決して小さくない毎月の経済的負担を伴う「施設介護」の行く末である。現状は比較的穏やかに過ごしている母であっても、今後数年にも万一の容態悪化、具体的には褥瘡(じょくそう/床擦れ)、各種の感染症、肺炎等の場合に、介護施設費に加えて医療費や長期入院費、「療養型病院」への転院に係る多大な諸費用も生じうる。母の人生で最もそれが必要な局面において、「本人の財産保全」との硬直的概念に偏向していると感じざるをえない、金融機関の口座凍結措置に直面する不条理。母のいる施設居室は筆者宅からわずか1㎞の物理的距離にある。しかし精神的には地球と月ほどの遠さに感ずる夜もある。我を苛む(さいなむ)不安と重圧を打ち消すように連日そこへ向かい、その無垢な笑顔を見、小さな手に触れんとする我が行動の深淵には、写経にも似た心の平安を求める自分自身がある。

⇧介護施設居室に設置した電子ピアノを用いて認知症の音楽療法に臨む母は、生来、クラシック音楽のピアノ演奏が生き甲斐

②療養型病院(療養型病棟)への転院に対する心づもり

母が現在入所している「老健」は、一般的に長期療養を前提とした施設ではなく滞在期間に縛りがある。これに対して療養型病院(療養型病棟)とは、「慢性期」の患者に対して「長期的」な医療 Care や Rehabilitation を提供する「療養病床」を持つ病院である。療養型病院は医療機関に分類される施設であり医療保険が適用され、継続的な医療管理や医療処置を必要とする患者が入院する場所である。また点滴・注射・採血、痰吸引、胃瘻(いろう)、中心静脈栄養、酸素投与、褥瘡措置等の医療処置に対応できる場合が多く、一般的な介護施設では受け入れが難しい医療上の要求にも対応しやすい環境である。体調の変化や急激な症状悪化の場合でも、医療スタッフが迅速に対応できる体制が整えられている。

しかし療養型病院は、複数の患者が同じ部屋で過ごす「多床室」が基本となっており、「個室」を用意している病院もあるが数が限られている場合が多い。ピアノによる音楽療法の試みなど、個室環境での介護は筆者と母にとって掛け替えのない要素である。しかしその場合の個室代(差額ベッド代)は医療保険が使えず全額実費となり、医療費負担を軽減する「高額療養費制度」も適用されない。すなわちいざ転院となれば、1日あたり数千円〜1万円以上が追加で発生し、月額にすると数万円〜十数万円が基本費用に上乗せされる。また医療施設であるため、他の介護施設と比較してレクリエーションやイベント等の回数が少ない。なお療養型病院では長期療養の帰結として看取りに至ることもある。

※療養型病院の入院費用/朝日新聞記事(2022年6月13日付) 療養型病院の費用について解説! 高額な支払いが発生した時の対処方法

※大阪府堺市内の療養型病院の入院費用事例(医療法人以和貴会 北条病院) hospitalization_cost.pdf

③失われた「共同性」と「事業化」への懸念

本稿前篇でも取り上げた「公益社団法人 日本記者クラブ」 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC) 主催のシリーズ企画「どうなる成年後見」(全4回)。第1回で社会福祉士で同志社大学教授の永田祐(ながた・ゆう)氏が提示する以下の論点は、『恍惚の人』の時代から半世紀が経過した令和の日本社会が抱える本質的な問題点を示唆している。(補足・要約、筆者)

・失われた「(家族・地域依存の)共同性」(動画内スライド 21頁):介護保険制度開始(2000年)後に実現した「家族機能(介護)の社会(システム)化」により、逆に家族や地域に依存していたかつての共同性が失われていった。
・「事業(契約・制度)化」の潮流への懸念(動画内スライド 31頁):すべてを介護事業(=成年後見等の契約や制度)で解決しようとすると、家族や地域がかつて持っていた人と人とのつながりを奪ってしまう。また「尊厳のある本人(認知症高齢者)らしい暮らし」の実現には、関係性の基盤となる地域福祉(互助)の取り組みを回復させる必要がある。

前述の森幹郎氏による「解説」に以下言及されている(引用・抜粋・括弧内、筆者)。

『現在(昭和57年)のところ、全国における痴呆老人の数は、東京都における出現率を借りて、約五十万人ということのようであるが、いやしくも一国の政策立案のためのデータとしては、少しお粗末ではないだろうか。』

⭐本稿前篇でも触れたように、令和7年における認知症患者数(65歳以上)は約700万人とされる(厚生労働省の推計)。『恍惚の人』の時代より遙かに複雑化かつ深刻化した令和の超高齢化社会において、認知症高齢者本人(とその家族)の尊厳と円滑な生計運用(破綻回避)が最優先されるべきであろう。「介護・医療・福祉」(各種の関連施設・サービス・専門職等)と「金融機関」(金融庁以下、本人財産保全の大方針)と「司法」(家庭裁判所・弁護士・司法書士等)、こうしたそれぞれの要素・主体において、関係者はそれぞれの職務に忠実であろうと努めている。他方で、それらの関係性を調整し共通理解を形成して全体最適を導きうる、総合的かつ絶対的な「解」は未だ存在しない(個別解決を試みるしかない)ことを筆者は痛感して余りある。

「どうなる成年後見」第4回において、法制審議会(民法部会)部会長として今回の制度見直し案を取りまとめた、早稲田大学 法学学術院教授の山野目章夫(やまのめ・あきお)氏が提示する「問い(25個目)」でもこうした視点が窺える。

※参考文献

有吉佐和子『恍惚の人』、新潮社、1982年
日野山大『証券マンひりひり日記』、三五館シンシャ/フォレスト出版、2026年

著者プロフィール

有田 仁(Jin Arita)

1966年(昭和・丙午)大阪府堺市生まれ。有田アセットマネジメント代表取締役。大阪工業大学大学院 知的財産研究科修了。NTT(日本電信電話)グループ・髙島屋等勤務。NTT研究所系教授陣に師事し研究発表(国際標準化専攻)。米国系業界団体(American Chamber of Commerce in Japan、Cloud Security Alliance Japan Chapter)等の運営・イベント企画に関与。

出雲国・松江藩(雲州松平家)とその出身者に所縁あり(昭和改元時の宰相・若槻禮次郎、および大正期の東京弁護士会会長・岸清一)。座右の銘は「温故知新」と「古今東西」、「和魂洋才」と「清濁併吞」。

著書に『平成・令和社会への違和感と伝統的価値観の復古』(幻冬舎 2026年)。研究論文に『自動運転システムにおけるクラウドネットワークの通信遅延条件(共著)』(日本知財学会 2016年)『クラウドセキュリティ技術分野の知的財産戦略に関する研究』(大阪工大院・紀要 2016年)『クラウドセキュリティ技術に関する特許出願傾向と特性』(電子情報通信学会 2015年)等。

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