【第131回】「秋の彼岸」/「仏法」と「煩悩」解脱への希求《前篇》―9月21日「認知症の日」/「鉢ヶ峯霊園」墓参に願う母の健康長寿―
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。
「秋の彼岸」の9月21日、筆者は大阪府堺市南区の「鉢ヶ峯霊園(堺公園墓地)」 公園墓地(鉢ヶ峯)霊堂・霊園【堺市指定管理者】堺市の墓地・霊園・霊堂 を墓参し先祖供養を行った。また9月21日は「敬老の日」、そして「国際アルツハイマー病協会」(ADI:Alzheimer's Disease International)と「世界保健機関」(WHO:World Health Organization)が1994年に共同で制定した「世界アルツハイマーデー」(World Alzheimer’s Day)である。 World Alzheimer’s Month | Alzheimer's Disease International (ADI)認知症の日/認知症月間(世界アルツハイマーデー/世界アルツハイマー月間)について |厚生労働省 2024年(令和6年)1月施行の「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」 共生社会の実現を推進するための認知症基本法 | e-Gov 法令検索 においても、同日は「認知症の日」と定められている。(下線筆者)
(認知症の日及び認知症月間)
第九条 国民の間に広く認知症についての関心と理解を深めるため、認知症の日及び認知症月間を設ける。
2 認知症の日は九月二十一日とし、認知症月間は同月一日から同月三十日までとする。
3 国及び地方公共団体は、認知症の日においてその趣旨にふさわしい事業を実施するよう努めるものとするとともに、認知症月間においてその趣旨にふさわしい行事が実施されるよう奨励しなければならない。
堺市霊園、堺市立霊堂がある堺公園墓地は、貴重な自然が残された大阪府南部丘陵の鉢ヶ峯に戦災に遭った市街地の寺院墓地が移転されたことに始まり、故人の安らぎの場として、また、自然と緑に親しむレクリエーション拠点として1963年(昭和38年)に開設された。48.9haの広大な公園墓地の敷地内は緑豊かな樹林に囲まれ、その周辺沿道は大阪府下でも屈指の桜の名所として知られる。



「彼岸」(ひがん)は仏教に由来する梵語(ぼんご)/Sanskrit である。「生死輪廻」(しょうじりんね)する「煩悩」(ぼんのう)を河や海の流れに例え、煩悩を「解脱」(げだつ)して達する「向こう岸」すなわち「悟りの境地」「菩提」(ぼだい)あるいは「涅槃」(ねはん)をいう。これに対して煩悩に満ちたこの世(現実世界)は「此岸」(しがん)という。彼岸は雑節(ざっせつ)の一つで、「春分の日」と「秋分の日」をそれぞれ中日(ちゅうにち)として前後各三日を合わせた七日間を指す(春の彼岸と秋の彼岸)。またこの期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。
梵語の kleśa は「苦しめる」「汚す」という動詞 kliś の名詞形であり、「苦悩」「心痛」すなわち「苦しむ心」「汚れた心」というのが煩悩の原意である。総じて、衆生を悩まし害し誤謬に導く不善の心を煩悩と呼ぶ。生死輪廻の因果とは、煩悩のゆえに業が展開し、煩悩と業とが原因となって生(苦的生存)が結果するというもの。煩悩のうちでも痴は無明(むみょう)といわれ、宇宙の真理を知らないという知的な心の汚れであり、これが根源的原因となって他の煩悩が生ずるとみられる。
仏教の経論には様々な種類の煩悩が挙げられており、代表的なものとして次のような分類がある。貪(とん=執着)、瞋(しん=憎悪)、痴(ち=無知)の「三毒」は、衆生の心を汚し毒する根源的な「三大煩悩」とされる。これらに、慢(まん=慢心)、疑(ぎ=仏教の真理への疑い)、悪見(あっけん=誤った見解)を合わせた6種を「根本煩悩」と呼ぶ。またこれにら付随して起こる、忿(ふん)、恨(こん)、覆(ふく)、悩(のう)、嫉(しつ)、慳(けん)、誑(おう)、諂(てん)、憍(きょう)、害(がい)、無慚(むざん)、無愧(むき)、惛沈(こんじん)、掉挙(じようこ)、不信(ふしん)、懈怠(けだい)、放逸(ほういつ)、失念(しつねん)、散乱(さんらん)、不正知(ふしようち)の20種の「枝末煩悩」「随煩悩」がある。さらに定義は諸説あるも、衆生の迷いの元となる煩悩のすべてを指して「百八煩悩」がある。
墓守(はかもり)として先祖代々を尊ぶ心から、昨今の墓終いの風潮に筆者は馴染めない。半世紀前に父が建之(けんのう)し、先般、老朽化した墓石の大幅改修(玉垣・灯篭等)を施した「じんちょうげ(沈丁花)区」の墓には、敬慕する母方祖母と祖父、(母の双子の)叔父、および父が眠る。墓石改修は、祖母や父に生前並々ならぬ愛情と世話を受けながら、十分に孝行が果たせなかった罪滅ぼしでもある。そしていずれは我が骨も入り、昔日のように家族一体となる。筆者は現世の尽きない煩悩からの解脱と悟りの境地への到達を求めつつ、この先、何事があっても護らねばならない要介護5(認知症)の母の健康長寿と当家行く末の平穏無事を墓前に願い込んだ。

⇧改修時の「開眼供養」(かいげんくよう)「魂入れ」の様子








