【第138回】織田作之助氏『夫婦善哉』(めをとぜんざい)/大阪ミナミ「法善寺横丁」と下町情緒―「お椀二杯」の善哉と「お多福」―
⇧法善寺横丁「夫婦善哉」を訪ねた当社海外渉外顧問の Wolf と筆者
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。
(執筆中)
日中はまだ暑さの残る神無月の日曜日。大阪市中央区難波の「法善寺横丁」 法善寺横丁|難波で浪速情緒とグルメを楽しむ石畳の路地|OSAKA-INFO は、苔生した「水掛不動尊」 大阪千日前 水掛不動尊 法善寺 周辺が海外からの観光客で賑わう。その一角に所在の甘味処「夫婦善哉」(めをとぜんざい) 夫婦善哉の歴史|夫婦善哉|サトフードサービス を当社海外渉外顧問の Wolf と訪ねた。以下、当店ウェブサイトから引用。
「夫婦善哉」は、創業明治16年
今を遡ること、130年以上前。法善寺境内に、ちょっと変わった善哉屋が開店します。文楽の太夫、竹本琴太夫こと「木文字(きもんじ)重兵衛」という人がはじめた「お福」という名のお店です。何が変わっていたかというと、一人前なのに二杯のお椀に分けて善哉が出てきたからです。「へぇー、こら変わっとる。なんで二つや」。聞かれると、実際にお店を切り盛りしていた重兵衛の妻「こと」と娘「かめ」はニッコリ笑って「おおきに。めおとでんね」と答えたといいます。実際は、二杯のお椀に分けた方がたくさん入っているように見えると考えたからなのですが、これが大当たり。その後の「夫婦善哉」へと繋がっていったのです。
夫婦善哉のマスコット「お福人形」
「木文字重兵衛」が、千日前の古道具屋で、アメリカ人に買い取られそうになったのを大金をはたいて買ったのがはじまりとされています。それにちなんで、屋号を「お福」と名付けたそうです。初代のものは室町時代の作で、小さな子供ほどの大きさだったといいます。その後、夫婦善哉の歴史とともに転々としたそうですが、現在は富山県の百河豚(いつふく)美術館に展示されています。現在お店に飾られているのは三代目。また「法善寺 MEOUTO(めおうと)ビル」新築の際に、四代目が誕生。
織田作之助の小説「夫婦善哉」で一躍大ブームに
昭和15年「東の太宰、西の織田」と謳われた文豪、織田作之助の小説「夫婦善哉」が世に出ます。これは、勝ち気でしっかり者の芸者「蝶子」と気弱で道楽者の問屋の若旦那「柳吉」の夫婦物語。二人は剃刀屋に関東煮屋、果物屋にカフェと様々な商売に手を染めますがどれも長続きしません。終いに、柳吉は行方を晦ましてしまうのです。ところが、戻ってこないはずの柳吉がひょっこり帰ってきて「どや、なんぞうまいもん食いに行こか」と、蝶子を連れていったのが法善寺です。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に「夫婦善哉」の赤提灯がぶらさがっていました。一人に二椀の善哉を前に、蝶子はいいます。「一人より夫婦の方がええいうことでっしゃろ」。この小説は映画にもなり「夫婦善哉」は一躍大ブームになりました。








※参考文献
織田作之助『夫婦善哉 決定版』、新潮社、2016年






