【第113回】「人工知能」(AI)依存社会への違和感《其ノ二》/「効率化」の行く末と東洋哲学「老荘思想」―「無為自然」「無用の用」と「遠回り」の妙
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。
近時、世界中のあらゆる分野(産官学・軍事・文化芸術等)で「人工知能」(Artificial Intelligence、以下「AI」)の開発・実装が過熱し、連日のように新聞紙上等で関連記事が取り上げられる。これの一つの契機として、米国企業「OpenAI, Inc.」による2022年11月の ChatGPT(Chat Generative Pre-trained Transformer/大規模言語モデルを用いた対話型 Generative AI サービス)の公開が挙げられる。またこれは単に AI のみならず、「人型ロボット」(Humanoid Robot)、「無人機」(Drone)や「自動運転」(Autonomous Car)、「Smartphone」(携帯情報端末)や「SNS」(Social Networking Service)等、新興技術(Emerging Technologies)の全般に及ぶ。21世紀の現在、社会や生活のすべてが新興技術に歯止めなく依存する方向に流れている。「効率性」(Efficiency)「合理性」(Rationality)、また「生産性」「費用対効果」「コスト削減」(コスト:費用・時間・労力等)がひたすら求められ、「非効率」で「非合理的」な「手間のかかる」考え方や振る舞いは敬遠され退けられる。
「効率」とは、費やした「労力」(Labor)に対して得られる「成果」(Result)の割合をいう。昭和期には「能率」という表現が一般的であった。効率化にはその反面、人間との対面での交流を伴わない手法が増えることにより、根源的な「人間性」や血の通った「人間関係」の希薄化や喪失につながる落とし穴が潜む。企業等への問い合わせ手段における所謂「AI チャット」や「AI オペレーター」、また小売店舗での所謂「セルフレジ」(Self-Checkout)、飲食店での「セルフオーダー」(Self-Ordering)「モバイルオーダー」(Mobile Ordering)などの拡大がそれである。
また別の側面では、近時、欧米各国において未成年者(1x才未満の子ども)の「SNS」利用制限規制の動きがようやく整い出した。有害な内容物(Contents)とそれによる誹謗中傷(いじめ)や犯罪からの保護・隔離、また学力低下や精神の不安定化の防止などがその目的であるらしい。筆者にはしかし、こうした取り組みはまったくの片手落ちのように思われる。本来、規制の対象年齢は未成年者や子どものみに限定するものでなく、また制限対象(Software)も単に「SNS」に限定するものでないはずである。いまや「Smartphone」(Hardware)への過度依存が社会(公共性)を毀損している負の側面は、未成年者や子どもの範となるべき成人すべて(老若男女)によるものではないか。
本稿では、IT(情報通信)化、デジタル化、電子化等の意味合いを含む、こうした「技術依存社会」「技術偏重社会」において、AI 技術普及に対して筆者が覚える違和感の正体を、「効率性」と「合理性」の過度の追求と捉え、「非効率性」(Inefficiency)「非合理性」(Irrationality)などの側面に着目する。また東洋哲学に目を向け、古代中国「道家」(どうか)の老子や荘子が説いた、「老荘思想」における「無用の用」や「道」(Tao)の概念を取り上げる。
①AI 普及加速の背景・前提と帰結/論理の螺旋構造(Spiral Structure)
・「自由」(自由貿易/グローバリズム)と「民主主義」の拡大⇒「人類社会の進歩と幸福」(西側陣営ではそうだとされている)
・「家」「国家」重視の価値観から「個人の尊重」「個人主義」「多様性」へ
・「核家族化」「女性の社会進出」「(所謂)ジェンダー文化」の賛美
・「少子高齢化」長期化による「労働力人口」「生産年齢人口」の減少
・(よって)在留外国人への労働依存・補完・代替もやむなし
・(よって)科学技術(AI・人型ロボット等)への労働依存・補完・代替もやむなし
・しかし「少子高齢化」進行をくい止める手立ては本当にないのか(思想・価値観の転換など)
・在留外国人・訪日外国人の増加、AI 技術開発・社会実装の加速は本当に「人類社会の進歩と幸福」(国益)につながるか
・また「少子高齢化」がもし解消すれば、在留外国人依存(観光立国政策)や AI 技術開発・社会実装の促進は不要となるか
・在留外国人・訪日外国人の減少、AI 技術開発・社会実装の後退は「人類社会の進歩と幸福」(国益)を妨げるか
・AI 化の行く末は、企業の「労働者」のみならず「経営者(社長・役員)」自体も、また「政治」「教育」その他の分野でも、あらゆる階層の人間が「高いコスト」として AI に置き換えられる社会⇒「人類不用社会」の到来
・欧米列強により既にグローバル化された時代(17~19世紀前半)、江戸期日本の「鎖国」「自給自足」を前提とした「足るを知る」「低成長社会」は、反グローバリズム(=悪)であったといえるか
②際限なき「効率化」の功罪
・18世紀、英国で始まった産業革命(Industrial Revolution)以来の近代産業史は、技術革新による「効率性」(Efficiency)「合理性」(Rationality)の飽くなき追求
・その根底に、「無駄」や「遊び」を徹底して削ぎ、「早道(はやみち)」「近道(ちかみち)」「一本道(いっぽんみち)」を善とする思想
・その目的は高度で革命的な「経済成長・経済的発展」
・社会全体の仕組みや組織・個人の業務・学習等において、従前の過程・手段をより「効率化」し「生産性」を向上させることが至上
・それは、都市部における生産・製造工程の「機械化・工業化」に始まり、サービス産業を中心とした「IT(情報)化」(「Internet」「Smartphone」の普及)を経て、「AI 化」(思考・創造など知的活動の外注)に至る道
・しかし、「非効率性」(Inefficiency)「非合理性」(Irrationality)は本当に悪か
・「無駄」や「遊び」、また「寄り道」「遠回り」「回り道」(Detour)の効用
・AI 社会では人間が一番の「無駄」とされるのでないか
・では人間の存在、本質とは?
③老荘思想「無為自然」/技術依存社会と混乱
中国・戦国時代の諸子百家における「道家」、すなわち老子(Lao-tzu)と荘子(Zhuangzi)による思想(老荘思想)を取り上げる。「儒家」(孔子)の「人為思想」を相対差別の元凶として否定した老子は、「無為自然」(※1)を根本の立場として「不争」の哲学を説いた。荘子はその師事した老子より徹底して、「運命随順」(うんめいずいじゅん)(※2)を志向し、「万物斉同」(ばんぶつせいどう)(※3)を根本思想とした。老荘思想は「道」(Tao)と「無」に収斂される壮大な思想体系である。
老子の著した『道徳経』(どうとくきょう)下篇57「淳風」に、「夫天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昏。人多伎巧、奇物滋起。法令滋彰、盜賊多有。/夫(そ)れ天下に忌諱(きき)多くして、民弥〻(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋〻(ますます)昏(くら)し。人に技巧多くして、奇物(きぶつ)滋〻(ますます)起こり、法令滋〻(ますます)彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。」<天下(世の中)に禁令が多くなるほど、人々はいよいよ貧しくなる。人々の間に「便利な道具」があふれると、国家はますます混乱する。人々の間で「技術」が進展するほど、ますます怪しげな事象が蔓延してくる。法令がますます精緻に整備されると、犯罪が増えてくる。>とある。
二千数百年前から既に、古代中国・老荘思想においては、AI を始め Internet や Smartphone など新興技術が利用者であるはずの人間を支配し様々な問題を生じさせている、21世紀の技術依存社会を見事に暗示し予言している。
④「無用の用」(Usefulness of Useless)と「遠回り」(Detour)
「無用の用」(Usefulness of Useless)とは、一見するところ世間で無用とされている、役に立たないとされているものが、実は別の意味で、真に大切な役割を担っていることをいう。
『荘子』の内篇4「人間世」(じんかんせい)篇に次の句がある。「人皆知有用之用、而莫知無用之用也。/人は皆有用の用を知りて、無用の用を知る莫き(なき)なり」<誰でも、役に立つものが役に立つことは知っているが、役に立たないものが役に立つことを知らない>。『荘子』雑篇26「外物」(がいぶつ)篇には、「夫地非不廣且大也。人之所用容足耳。然則側足而墊之、致黃泉、人尚有用乎。/夫れ地は広く且つ大ならざるに非ざるなり。人の用ゐる所は足を容(い)るるのみ。然らば則ち足を側(はか)りて之を墊(ほ)り、黃泉(こうせん)に致さば、人尚ほ用ゐること有らんか」<大地はどこまでも広々として大きいが、人間が歩行するのは足が着く地面のみ。しかし足の寸法に合わせた土地のみを残して周りをあの世まで深く掘り下げたら、人間の立っている場所は役に立つといえるか>とある。また老子『道徳経』上篇11「無用」に、「三十輻共一轂。當其無、有車之用。/三十の輻(や)は一の轂(こしき)を共にす。其の無に当たりて、車の用有り」<車輪が回転する用を成すのは、車軸(Spoke)の集まる中心の軸受(Hub)「空間・無」による>とある。
また、目的地に最短経路で向かうのに、「無駄」や「遊び」とされ合理的でないとされていること、すなわち「寄り道」「遠回り」「回り道」(Detour)の効用がある。すなわち「幸運なる偶然により予期せず価値あるものを発見すること」(Serendipity)である。「急がば回れ」である。
老子『道徳経』上篇22「益謙」に、「曲則全、枉則直、/曲(きょく)なれば即ち全(まった)し、枉(ま)がれば即ち直し、」<曲がりくねった木のように役立たずであれば、切り倒されることなく天寿をまっとうできる。 尺とり虫の様に身を曲げておればこそ伸びる事もできる。>とある。また川の流れは直線だと勢いを増して、より早く海へと注ぎ込む。しかし川は少し蛇行してこそ堆積物で土壌を潤し魚を育てる。人生も同じであり、「遠回り」という蛇行は「無駄」ではなく養分を置いていく。そのことにより、「偶然」という実が落ちて予期せぬ芽が出る。偶然に出会った人や書物、偶然に遭遇した出来事などが、人生の視野を広げ、深みを増し豊かなものにするというものである。
(※1)無為自然:文明や文化、すなわち知識・欲望・道徳など不自然な人為を人工的なものとして排し、自然のままに生きること
(※2)運命随順:運命を人力ではどうすることもできないことを悟り、必然のままに受け入れ肯定し従うこと
(※3)万物斉同:万物は人間から見ると相対的に二元の対立・差別を生じるが、本来は一つのものであり斉(ひと)しく同じであること
※参考文献
森三樹三郎(もり・みきさぶろう)『』、講談社、1994年
栗原聡(編著)『』、KADOKAWA、2026年
ニュートンプレス『』、ニュートンプレス、2026年
品川哲彦『』、中央公論新社、2020年






