【第84回】伝統的価値観(Traditional Values)《其ノ七》「徳育」と「修身」―戦前「教育勅語」(Imperial Rescript on Education)の黙考―
⇧大阪市中央区「大阪城公園」内の「教育勅語渙発四拾周年記念碑」
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。
(執筆中)
11月3日は「明治節」(めいじせつ)。明治天皇の誕生日を記念して1927年(昭和2年)に制定された祝日である。「教育勅語」すなわち「教育ニ関スル勅語」は1890年(明治23年)10月30日に発布され、明治天皇の名で国民道徳の根源や教育、特に「徳育」(Moral Education)の基本理念が示された勅諭。1889年(明治22年)2月11日の「大日本帝國憲法」発布によって国策の基本が据えられ、これに伴い教育、特に儒教の流れを汲む徳育の基本方針を明確にせんとの建議も出されるようになった。時の首相・山県有朋公がこれに応じ、文部省にその草案作成を命じた。第2次伊藤博文内閣の文部大臣で法制局長官の井上毅(いのうえ・こわし)公が中心となり起草。井上公は大日本帝國憲法の起草にも関わっている。父母への孝行や夫婦の和、博愛といった14の道徳項目を記しつつ、万が一の緊急事態の際は身を捧げて皇室国家のために尽くすことを求めた。本文は 315字、内容は3つの部分から成っている。
文部省はその謄本を全国の尋常小学校・高等小学校に下付し礼拝・奉読を進め、修身科をはじめとする諸教科も勅語の精神を基本とした。「修身」(Moral Training)とは自分の身を修める、すなわち行ないを正し整えて善を行なう様努めることを指す。修身の語は、儒教の教典『四書』の一つ『大学』における「修身・斉家・治国・平天下」に由来する。
やがて教育勅語は「御真影」(天皇、皇后両陛下の写真)とともに保管されるなど神聖化され、昭和前期の軍国主義教育と結び付いた側面もあった。1945年(昭和20年)8月の大東亜戦争(対米戦争)敗戦により、この教育体制は GHQ (General Headquarters|連合国軍最高司令官総司令部)(≒米国)による指令と日本の教育関係者自身の反省から解体を求められた。「民主主義」と「個人の尊重」の理念を掲げた「日本国憲法」(1946年|昭和21年)および「教育基本法」(1947年|昭和22年)の公布により、これらと勅語との矛盾は明確となり、1948年(昭和23年)衆議院で排除、参議院で失効確認の決議が行われ、謄本は回収、処分された。併せて学校授業においても、1947年(昭和22年)社会科の発足により修身科は廃止された。
しかしその後も、文部大臣・天野貞祐(あまのていゆう)の教育勅語擁護発言(1950年|昭和25年)、首相・田中角栄の勅語徳目の普遍性発言(1974年|昭和49年)など、教育勅語を擁護する声は根強く、憲法改正を含む戦後天皇制再検討の動きとの関連で、一部の政財界、学者・文化人、神社関係者などの間で教育勅語を再評価する動きが続いている。
■「教育ニ關スル勅語」(明治二十三年十月三十日)教育ニ關スル勅語(明治二十三年十月三十日):文部科学省
朕惟フニ我力皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明󠄁治二十三年十月󠄁三十日
御名 御璽
■「国民道徳協会」による口語文訳
私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに、進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫のまもらなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。





※参考文献
大原康男『教育勅語』、神社新報社、2007年
渡部昇一『国民の修身』、産経新聞出版、2012年
渡部昇一『国民の修身 高学年用』、産経新聞出版、2013年
田口佳史『』、致知出版社、2021年
田口佳史『』、致知出版社、2023年






