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時論

⇧(写真左)「東京国立博物館 本館」の威容を誇る破風と四神「朱雀」の鬼瓦、(右)同収蔵品の「鳳輦」(天皇が行幸に際して座乗した専用の乗物)

※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

(【第108回】から続く)

①東京国立博物館(Tokyo National Museum)と所蔵品

東京都台東区上野公園に所在する「東京国立博物館」(Tokyo National Museum東京国立博物館 - Tokyo National Museum は、「独立行政法人 国立文化財機構」が運営する国立博物館である。同館は1872年(明治5年)に創設された日本最古かつ質・量ともに最大の博物館で、所蔵品は12万件を超える。国宝や重要文化財を含む日本東洋諸地域の美術・工芸・考古資料の収蔵と展示公開、また調査研究・教育普及事業などを目的とする。「東博コレクション展」では常時約3000件を展示している。

「本館」「表慶館」「東洋館」「平成館」「法隆寺宝物館」の5つの展示館と資料館、その他の施設からなる。 東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 当初の「本館」(煉瓦造)は1881年(明治14年)、英国の建築家 Josiah Conder の設計により開館。また1923年(大正12年)の関東大震災で罹災した旧「本館」に代わり、1938年(昭和13年)、建築家・渡辺仁(わたなべじん)氏による公募設計図案/建築家・伊東忠太(いとうちゅうた)氏ら委員の修正による、復興本館が開館(重要文化財指定)。「本館」と「表慶館」は大東亜戦争(対米戦争)による被害を免れ現在に至っている。

⇧前庭から望む右手に「本館」左手に「表慶館

⇧「本館」はコンクリート建築に瓦屋根を載せ破風が特徴的な「帝冠様式」(和洋折衷)の代表的建築 東京国立博物館 - 1089ブログ

⇧「本館」Entrance 大階段

⇧来観者の9割が訪日外国人(筆者認識・2026年3月)、日本人は?

②「湯島聖堂 大成殿博覧会」からの系譜

1872年(明治5年)3月10日から20日間、その前年設置の「文部省博物局」による最初の博覧会として、「湯島聖堂博覧会」が湯島聖堂 大成殿(たいせいでん)」にて開催された東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 1.湯島聖堂博覧会 これを機に「文部省博物館」が発足し、東京国立博物館はこの年を創設の年としている。展示品は、翌1873年(明治6年)開催の「ウィーン万国博覧会」への出品予定品が中心であった。当時の錦絵に見られるように、会場にはガラスケースが所狭しと置かれ、書画、骨董、動植物の剥製や標本などが並べられ、展示品のなかでは名古屋城の金鯱(しゃちほこ)が人気を集めた。当博覧会は、あまりの人気に入場制限をせざるをえないほどで、会期を再度延長し4月末日まで開催された。総入場者数は15万人と推定されている

同館は1882年(明治15年)上野(旧、寛永寺本坊跡)の地に移転。その後「帝国博物館」「帝室博物館」への改称を経て、戦後の1947年(昭和22)に「国立博物館」へ、1950年(昭和25年)に現在の名称となっている。

⇧金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)、左手に「吽形像」右手に「阿形像」

⇧鳳輦、1906年(明治39年)宮内省(式部職)より引継 東京国立博物館 - 展示・催し物 展示 本館(日本ギャラリー) 鳳輦 作品リスト

「鳳輦」(ほんれん)は天皇が行幸(ぎょうこう)に際して座乗した専用の乗物。総体を黒漆塗りとし座乗するための屋形(やかた)を中心として、上部の屋蓋( おくがい )には鳳輦という名称の根拠であり、皇位の象徴である「鳳凰」(ほうおう)像を飾り、前面と側面に御簾(みす)および紫綾(むらさきあや)帳を懸け、背面に扉を設け、下部に轅(ながえ)を取り付ける形式となっている。移動する際には、駕輿丁(かよちょう)が肩で轅を担ぎ、さらに屋蓋の四隅から垂らした緋綱(ひづな)で動揺しないように操作した。同館が所蔵する鳳輦は、孝明天皇が1855年(安政2年)に新造内裏(現在の京都御所)に遷幸(せんこう)する際に用いられ、また明治天皇の東京行幸の際にも用いられたものを1906年(明治39年)に宮内省式部職より引き継いだ。現存する鳳輦の貴重な実例であり、同館の歴史において皇室との関係を示す象徴的作品とされている。

⇧(写真左)「聖徳太子立像(りゅうぞう)」(右)豊臣秀吉「一の谷馬兜」(いちのたにばりんのかぶと

⇧1909年(明治42年)建築家・片山東熊(かたやまとうくま)氏設計による「表慶館」が開館、明治末期の洋風建築を代表する建物として重要文化財指定

⇧前庭後方に望む「東洋館」、1968年(昭和43年)開館、建築家・谷口吉郎氏による設計

⇧上野恩賜公園に面して移築された「旧因州(いんしゅう)池田家 江戸上屋敷表門(黒門)」の遺構(重要文化財指定)

②東京都立中央図書館と麻布近傍

「東京都立中央図書館」(Tokyo Metropolitan Library東京都立図書館 は、1973年(昭和48)年に、「東京都立日比谷図書館」の蔵書を引き継いで麻布の地に開館した。蔵書数は国内の公立図書館で最大級の約232万冊を所蔵しており、このうち、新しい図書を中心に約35万冊を開架している。

「有栖川宮記念公園」 有栖川宮記念公園 - Arisugawa-no-miya Memorial Park | 港区麻布地区公園・児童遊園案内 - Minato City Azabu Parks は、江戸時代、笠間藩、赤穂藩、盛岡南部藩の下屋敷として使われていた。そして明治時代に所有者が代わり、1896年(明治29年)、有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王の第一王子栽仁(たねひと)王新邸造成の御用地となった。その後1934年(昭和9年)に公園として一般解放され、1973年(昭和48年)、園内に併設施設として東京都立中央図書館が開館した。

現在の「ドイツ連邦共和国大使館」(Deutsche Auslandsvertretungen in Japanドイツ連邦共和国大使館 - ドイツ外務省 は、麻布の「南部坂」沿いに所在する。大使公邸は RC 構造で連邦建設局(BBD)ボン本部と松田平田設計事務所が設計・施工した。事務棟は連邦建設局(BBD)ベルリン本部(現連邦建設国土庁(BBR))によるもの。竣工・入居は大使公邸が1957年、事務棟は1960年。事務棟内部の吹き抜けの階段室には、1階から最上階にまで達する南向き全面に、ガラスブロックの部材をふんだんに使った明かり取りが設けられていた。ルーフ部分の軽やかな反り屋根は、西洋的機能主義と東洋的建築意匠の伝統の組み合わせを表現していた。

著者プロフィール

有田 仁(Jin Arita)

1966年(昭和・丙午)大阪府堺市生まれ。有田アセットマネジメント代表取締役。大阪工業大学大学院 知的財産研究科修了。NTT(日本電信電話)グループ・髙島屋等勤務。NTT研究所系教授陣に師事し研究発表(国際標準化専攻)および米国系業界団体(米国商工会議所・Cloud Security Alliance 等)の運営に関与。著書に『平成・令和社会への違和感と伝統的価値観の復古』(幻冬舎 2026年)。研究論文に『自動運転システムにおけるクラウドネットワークの通信遅延条件(共著)』(日本知財学会 2016年)『クラウドセキュリティ技術分野の知的財産戦略に関する研究』(大阪工大院・紀要 2016年)『クラウドセキュリティ技術に関する特許出願傾向と特性』(電子情報通信学会 2015年)等。

仁徳天皇陵を含む百舌鳥古墳群近傍に生を受け、外祖母の先祖は江戸初期より、出雲国・松江藩(松平家)に禄を食む。昭和改元時の宰相で重臣として昭和天皇を輔弼した若槻禮次郎男爵は遠い姻戚。国際オリンピック委員会(IOC)委員で貴族院議員の岸清一博士は親戚筋。連載コラム「時論」では社会の諸相を週次で論じ、還暦を迎えた己(おのれ)の人生を総決算。東西の歴史観・伝統的価値観の視座で、平成・令和社会への違和感を問う。

足繁く通う介護施設。五感で接する母(要介護5/認知症)への肉親の情は年追う毎に増し、当社海外渉外顧問の Wolf(脳神経学博士・心理学専攻)もこれに寄り沿う。座右の銘は「温故知新」「和魂洋才」「古今東西」。現下の関心事は哲学(論理学)領域における 「矛盾許容」(Paraconsistent)。

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