【第24回】東京・日本橋紀行《4/4》―「日本橋髙島屋」とエレベーターガール篇―
※本稿の内容は筆者の個人的見解であり、筆者が所属する組織の公式見解を示すものではありません。
(【第23回】から続く)
※本稿は右記の一次資料に依拠、参照の上、執筆しています。『髙島屋百五十年史』、1982年(昭和57年)、髙島屋百五十年史編纂委員会
依然厳しい蒸し暑さの残る8月下旬、東京都中央区は日本橋の「日本橋髙島屋」(日本橋高島屋 S.C. | トップページ (takashimaya.co.jp))を訪れました。
⇧「日本橋髙島屋S.C./本館」、1933年(昭和8年)竣工、建築家「高橋貞太郎氏」による設計、大東亜戦争後に建築家「村野藤吾氏」による4度の増築、2009年(平成21年)百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定
株式会社髙島屋(高島屋 (takashimaya.co.jp))(筆者も十年来勤仕)の創業家初代、飯田新七氏は京都の米穀商、飯田儀兵衛氏長女の婿養子となったのち分家独立、1831年(天保2年)正月、京都・烏丸松原で古着木綿商を開業しました。その折、本家(飯田儀兵衛家)が近江国高島郡(現:滋賀県高島市)出身で屋号が「たかしまや」であったことにちなみ、飯田新七氏も屋号を「たかしまや」と称しました。1919年(大正8年)に「株式会社髙島屋呉服店」が設立され、1930年(昭和5年)には「株式会社髙島屋」へ改称、以来同社は創業190年余にわたり関西資本で独立系の老舗百貨店として広く知られています。
「日本橋三越本店/本館」と並んで日本橋地区の「顔」である「日本橋髙島屋/本館」は、1929年(昭和4年)「十五銀行」の用地を紆余曲折の末に取得ののち、1933年(昭和8年)出店。我が国百貨店で初となる全館冷暖房装置を備えた店舗として、当時の宣伝コピーに『東京で暑いところ、髙島屋を出たところ』と謳われ、一世を風靡しました。創建時の名称は「日本生命館」であり、「日本生命保険相互会社」が建設したものを「髙島屋」が借り受け、一部を「日本生命東京総局」が事務所として使用していましたが、1963年(昭和38年)に「日本生命保険相互会社」が転出しています。
同店の名称は現在、「日本橋髙島屋S.C.(shopping center)」 とされ、上述の「本館」と「新館(専門店)」「東館(ポケモンセンタートウキョーDX)」および時計専門売場の別館「Takashimaya Watch Maison」の4館一体で4街区を構成、「日本橋2丁目交差点」界隈で「老舗(しにせ)百貨店」の存在感は今なお健在に映ります。
※出典
「日本橋髙島屋」(重要文化財 日本橋高島屋|日本橋タカシマヤS.C. (takashimaya.co.jp))
⇧「本館/正面口」の「バラの花を持った天使(Angel)と女の子」像(写真左)、2階吹き抜け(atrium)の正面口には和風の伝統様式である格天井(ごうてんじょう)と、イタリアから取り寄せた黄茶色の大理石張りの柱、柱頭(ちゅうとう)飾りには西欧の歴史様式を基調に和風建築の語彙を使い表現された石膏彫刻(写真右)
同館「さくら通り口」には「幸運の女神」像、「南口」には「キューピッド(Cupid)」像が配され、同社マスコットキャラクターの「ローズちゃん」にも通じる、愛らしい中にも格調高い趣きを感じさせます。
⇧クラシックな趣きを醸し出す三枚(蛇腹)扉の手動式エレベーター
エレベーターホールでは、壁に木目を思わせる飴色の大理石がふんだんに用いられ、米国「オーチス社」(Otis Elevator Company)製のエレベーターには、創建時の「カゴ」が改修(機械を最新式に変更)の上、現在も使用されているのが特徴です。
「日本橋髙島屋」は現在、「顧客係」(エレベーターガール)によるエレベーターの手動操作と、『上に参ります/下に参ります』といった案内(昇降方向)が残る、数少ない百貨店(店舗)と言われています。優雅かつ独特の発声法による顧客案内や店内放送は「百貨店の顔」としてその伝統を体現し、また「顧客係」は女性社員にとって「花形部署」とされました。「省人化」が進み「効率化」「デジタル化」が奨励される令和の御代。辛うじて同店に残った「人の手による」「古き良き希少文化」に感慨一入(ひとしお)です。
⇧「本館」4階・5階の「髙島屋史料館TOKYO」
「髙島屋史料館TOKYO」(高島屋史料館TOKYO(東京) (takashimaya.co.jp))は、大阪市浪速区日本橋(こちらは「にっぽんばし」と呼称)の「髙島屋史料館」(高島屋史料館 (takashimaya.co.jp)))の分館として、2019年(令和元年)3月に開館。小規模ながら「日本橋」地域における文化発信拠点たるべく、4階展示室と5階旧貴賓室(セミナールーム)において、企画展示やトークイベント、ワークショップなどが開催されています。
⇧「日本橋髙島屋S.C.本館」北側に隣接する「新館(専門店)」(写真左)、「中央通り」を挟んで「本館」筋向い(南西側)時計専門売場の別館「Takashimaya Watch Maison」(写真右)
⇧「昭和通り」を挟んで「東館」道向かいに建つ「株式会社髙島屋本社ビル」
2019年(令和元年)2月、同社本社部門の事務所等が同ビルへ移転するも、本社所在地(会社概要・役員|会社案内|企業情報|高島屋 (takashimaya.co.jp))は、「大阪店」住所(大阪市中央区難波5丁目1番5号)から変更ありません。