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【第115回】源氏・平氏の流派一門と「武家(武門)の棟梁」―国宝・世界遺産「厳島神社」(日本三景・安芸の宮島)と「広島城」(日本三大平城)―

※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

①源氏・平氏の流派一門

薫風の候、筆者父方親族の郷里、安芸国・広島は国宝・世界遺産の「厳島(いつくしま)神社」(日本三景・安芸の宮島)を参拝し、「広島城」(日本三大平城)を訪れた。厳島神社への参拝は筆者にとり約半世紀ぶりであった。これに伴い、源氏・平氏の流派一門と「武家(武門)の棟梁(とうりょう)」を取り上げる。国内最大の先祖調査会社「家樹株式会社」様の解説記事(家系図の森)を主に参照し、以下に概括する。

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「源平藤橘」(げんぺいとうきつ)、すなわち源氏・平氏・藤原氏・橘氏とは日本で代表的な「四つの氏(四姓)」をいい、これは古代~平安時代に天皇から臣下に対して与えられた「氏姓」(うじかばね)が原点となっている。天皇から臣下に対して氏姓を授けることを「賜姓」(しせい)と呼ぶ。賜姓の主な事例として、臣下への功績や技能に対する恩賞、皇族が臣下の籍に降りる「臣籍降下」(賜姓皇族)、朝廷内の身分秩序や序列の整理があった。また源平藤橘の名称の由来は、源氏:中国の古書『魏書』より「源を同じくする・・・」に、平氏:桓武天皇が遷都した平安京の「平」に、藤原氏:大和国藤原(現:奈良県橿原市の地名)に、橘氏:杯に浮かんだ橘にそれぞれ因む。

嵯峨天皇を始祖とする源氏は「笹竜胆」(ささりんどう)を代表的な家紋にもつ。その二十一流派の中で、長く存続したのが「嵯峨(さが)源氏」「宇多(うだ)源氏」「清和(せいわ)源氏」「村上(むらかみ)源氏」の四流派である。

一方、桓武天皇を始祖とする平氏は「揚羽蝶」(あげはちょう)を代表的な家紋にもつ。その四流派「桓武(かんむ)平氏」「仁明(にんみょう)平氏」「文徳(もんとく)平氏」「光孝(こうこう)平氏」のうち、長く存続したのは「桓武平氏」のみである。そして、桓武天皇の孫である平高棟(たいらのたかむね)の系統である「公家平氏」と高見王(の子の平高望)の系統である「武家平氏」に分かれる。さらに平高望(たいらのたかもち)の三人の子の系統である支流は以下の通り。

②武家の棟梁「伊勢平氏」と「河内源氏」

平安時代後半(10世紀から11世紀)に現れた武士の家筋、すなわち「武門」を束ねる人物を「武門の棟梁」と称した。このうち名高いのは、桓武平氏の支流「伊勢平氏」で12世紀に最初の武家政権を打ち立てた平清盛が挙げられる。その後、清和源氏の支流「河内源氏」である八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家の子孫が代々、幕府における将軍職を独占することとなる。すなわち源頼朝東国(鎌倉)に幕府を開いて武家政権を確立し、頼朝が有していた鎌倉殿としての軍事的権限と「征夷大将軍」の地位が結びついて世襲が行われた。14世紀に鎌倉幕府執権・北条氏(坂東平氏)を倒した後、後醍醐天皇による親政「公家一統」(建武の新政)に異を唱え、京の都に室町幕府を開いた足利尊氏も同じ河内源氏の流れである。さらに17世紀初頭、戦国時代を征し再び東国(江戸)に幕府を開いた徳川家康も、河内源氏の流れをくむ新田氏の系譜を自称している。このように武家政権の歴史を通じて、清和源氏(河内源氏)の血脈をもって「武家の棟梁」かつ幕府の長たる「征夷大将軍」とする図式が次第に確立していった。

③厳島神社(日本三景・安芸の宮島)

広島県廿日市市(はつかいちし)宮島町の厳島に所在する国宝・厳島神社。 国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】 その祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)の際に出現した神々で、皇室の安泰や国家鎮護また海上の守護神として古くから崇信を受けてきた。推古天皇即位の年(593年)宮島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下り、海水の差し引きする現在地が選ばれ社殿が建てられた。その後、安芸守となった平清盛が当社を篤く崇敬し、1168年(仁安3年)に寝殿造の様式を取り入れた社殿に修造した。さらに時代が移り、室町時代の足利尊氏や足利義満、戦国時代の大内家や毛利家などからも崇拝された。当地は松島、天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」として知られ、1996年(平成8年)世界文化遺産に登録され現在に至る。

筆者は午後の干潮時に当地を訪れ、社殿・廻廊や海上の大鳥居を展望した。大挙押し寄せる観光客の大半は訪日外国人であった。

⇧伊勢平氏・平家一門の棟梁で、厳島神社の再建・修造を行った平清盛の像

⇧本社本殿、幣殿、拝殿

⇧干潮時の社殿、廻廊

⇧能舞台、創建:1605年(慶長10年)福島正則により寄進、後に1680年(延宝8年)浅野綱長により再建、国指定重要文化財

⇧桟橋(平舞台)から望む大鳥居

⇧干潮時の大鳥居の様子

④広島城(日本三大平城)

広島市中区基町に所在する広島城 広島城 | 広島城は、太田川河口の三角州に、毛利輝元が築いた典型的な平城です。 は、太田川が分岐してできた三角州平地に築かれた日本三大平城の一つで、中国地方屈指の名城である。1589年(天正17年)戦国大名・毛利輝元によって起工され、1599年(慶長4年)に完成した。毛利輝元が関ヶ原の戦いの敗戦によって防長(ぼうちょう)2か国に転封された後は、豊臣家の有力大名・福島正則が入城。福島正則も1619年(元和5年)無許可修築の廉(かど)で徳川幕府に除封され、同年浅野長晟が入り12代相継いで幕末に至った。天守閣は1945年(昭和20年)米軍の原爆により壊滅し、現在のものは1958年(昭和33年)に復原された。

⇧広島城 天守閣

⇧城の堀を泳ぐ錦鯉、広島城の別名「鯉城」(りじょう)

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著者プロフィール

有田 仁(Jin Arita)

1966年(昭和・丙午)大阪府堺市生まれ。有田アセットマネジメント代表取締役。大阪工業大学大学院 知的財産研究科修了。NTT(日本電信電話)グループ・髙島屋等勤務。NTT研究所系教授陣に師事し研究発表(国際標準化専攻)および米国系業界団体(米国商工会議所・Cloud Security Alliance 等)の運営やイベント企画に関与。座右の銘は「温故知新」「和魂洋才」「古今東西」。現下の関心事は哲学(論理学)領域の「矛盾許容」(Paraconsistent)。

著書に『平成・令和社会への違和感と伝統的価値観の復古』(幻冬舎 2026年)。研究論文に『自動運転システムにおけるクラウドネットワークの通信遅延条件(共著)』(日本知財学会 2016年)『クラウドセキュリティ技術分野の知的財産戦略に関する研究』(大阪工大院・紀要 2016年)『クラウドセキュリティ技術に関する特許出願傾向と特性』(電子情報通信学会 2015年)等。

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