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【第59回】平成・令和の違和感《其ノ二》Technology 進歩の功罪―「公」を憚らぬ Smartphone(携帯情報端末)依存「社会」の陋習(ろうしゅう)―

⇧上記 Steve Cutts 氏の著作画像は2025年6月8日中に差し替えいたします。

※本稿の内容は筆者の個人的見解であり、筆者が所属する組織の公式見解を示すものではありません。

①令和の世における平成世代の割合

(執筆中)

総務省統計局の「人口推計/2024年(令和6年)7月報(概算値)」(202407.pdf (stat.go.jp))によると、日本の総人口は1億2396万人、そのうち「平成」生まれの世代(0~35歳)は3859万人(同統計の「0~34歳」値で算出)と、総人口比で31.1%を占めるに至る。筆者は新入社員の時期に、大東亜戦争(対米戦争)の戦前・戦中派およびその下の団塊世代といった、上の世代から「新人類」(所謂バブル期における理解不能の若年層)と呼ばれた世代。そうした筆者から見ても違和感を覚えざるを得ない「平成」世代(集団)が、日本社会において早や一定の存在感や影響力を有する事実に隔世の感を覚える。

⇩上記統計を基に筆者作成

②IT 進歩と急速なデジタル化による負の側面

(執筆中)

長い人類史における過去の時代と比較した際、この半世紀の「科学技術」領域の「進歩」の速度は驚異的である。特に各産業分野(軍需利用を含む)における IT(Information Technology/情報技術)の発展と普及は目覚ましく、社会がその受け入れを拒否できないほどの強制力や不可逆性を有している。一方で「科学技術」は多大な弊害も社会へもたらしてきた。とりわけ急速に際限なく推し進められる「アナログ」から「デジタル」への移行、すなわち1990年代頃(平成期)より普及した Internet や近年の Smartphone(等の携帯情報端末)の利用がもたらす負の側面は看過できない。また昨今では「効率性追求」の名の下に席巻する「人工知能」(AI:Artificial Intelligence)によって、労働環境上の懸念や知的財産権上の問題が浮上している。

さらに SNSSocial Networking Service)の歯止めなき利用拡大は、さながら現代の「落書」(らくしょ)の温床となりえる。そこでは不特定多数の「私的」な感情や利益が充満し、絶えざる不満を生み出す。また利用者の「承認欲求」(※1)の充足に駆り立てる、典型的な「衆愚政治」の舞台と言えよう。

(※1)承認欲求:米国の心理学者 Abraham Maslowの説く「欲求5段階説」すなわち(1)生理的欲求 (2)安全欲求(3)社会的欲求(4)承認欲求(5)自己実現欲求の第4段階

③Smartphone 依存の弊害(私的要素)

(執筆中)

筆者が近年、最も忌避し(時間を遡り)昭和期へ逃避したいとさえ感ずる社会事象は、Smartphone(等の携帯情報端末)への過度依存である。都市部の公共空間を見渡すと、洋の東西・老若男女を問わず概ね9割(筆者認識)がその陋習(ろうしゅう)に陥っている。この状況は平成期の「携帯電話」一般普及に端を発し約30年間を経て、もはや Pandemic(世界的伝染病)の域にあるといえよう。前述した平成世代の大半においては、生まれた時からすでに Internet や携帯電話の利用可能環境にあった。成人して社会に出る頃合には Smartphone が登場した。こうした世代が今後一層社会の中核を占めていく中、Technology のもたらす「害毒性」が「利便性」を大きく上回ることは明らかである。

ところで Smartphone 依存の負の側面には、一次的弊害(私的要素)と二次的弊害(公共要素)がある。筆者が殊更に憂慮するのは後者である。

【一次的弊害】(私的要素/私的空間/ソフト面)

・携帯端末上で(時や場所や状況を憚らず)得られる、過剰なまでの「情報」への盲従・隷従
・また逆に(時や場所や状況を憚らず)過剰なまでの情報が得られる、「携帯端末」への盲従・隷従
・上記に伴う、自身の頭脳による判断・思考を停止してしまう危険性
・さらに「生身の人間」である他者との知的・精神的交流の断絶、人間関係の希薄化
・特に、家庭での両親・祖父母、教育機関での先生、職場での上司など、目上の人間や上位階級者の存在感や威信の低下
・日常的に出会う被写体(風景・建築物・人物・出来事等)に対し、「生身の」五感や脳で観賞し記憶に留めれば足るものを、必要性(質・量)を超えて習慣化している写真・動画撮影、データ保存、および SNS 等での他者への共有
携帯端末に絶えず齎される無数の「悪意ある攻撃」と「セキュリティ対策」の堂々巡りという要らぬ煩わしさ

④Smartphone 依存の弊害(公共要素)

(執筆中)

【二次的弊害】(公共要素/公共空間/ハード面)

・所謂「ながら歩行」「ながら運転(自転車・自動車等)」=「視覚遮断」「注意散漫」による本人の人身事故誘発
・上記に伴う、公道・電車(等の交通機関)・エレベーター等での他者への悪影響(通行・移動の妨げ)
・さらに交差点(横断歩道)等での交通渋滞の誘発(歩行者優先に伴う車両運転者への悪影響)
Smartphone 依存者の振る舞い(★)により著しく毀損される「風景」「景観」への強い違和感・嫌悪感(筆者の主観)
  ★四六時中、極小の液晶画面を凝視して端末を無為に玩弄(がんろう)する児戯(じぎ)の如きさま
  ★周囲の状況に無配慮・傍若無人で、礼節や社会性を逸した極めて Eyesore なさま

筆者世代も幼少期に「テレビっ子」と揶揄され、当時の社会は子供の視聴依存や弊害を指摘した。考察するに、現在の Smartphone 依存との相違点は、テレビ視聴は基本的に家庭内の「私的空間」で行われるものであった。すなわち現在ある Smartphone の如く、「情報」を「公共空間」へ自在に「携帯」し「私的」に「利用」できるものではなかった点にある。しかし「携帯情報端末」は当初から、そこに利点を謳って開発を重ね販売促進されてきた製品・サービスである。一方で、その利点を今否定するには社会思想(公共性と私益)そのものの再検討・見直しにも繋がる深遠な問題であろう。総括するに筆者の感ずるものとは、「公」の場に集う「個」それぞれが「私」に閉じこもり「公」を憚らぬ「社会」への違和感・嫌悪感といえよう。

英国の IllustratorAnimator、Steve Cutts 氏による、Smartphone Zombies と称される風刺作品群は極めて衝撃的である。これらは、Smartphone 依存に陥った人間が携帯端末(情報)の奴隷と化した現代社会を、痛烈かつ詳らか(つまびらか)に表現している。

Happy Halloween』 Steve Cutts's Store | Society6
Moby & The Void Pacific Choir - 'Are You Lost In The World Like Me?'』 Moby & The Void Pacific Choir - 'Are You Lost In The World Like Me?' (Official Video) - YouTube

※参考文献

Catherine Price、笹田もと子(訳)『スマホ断ち 30日でスマホ依存から抜け出す方法』、2024年(令和6年)、角川新書
石川結貴『スマホ廃人』、2017年(平成29年)、文藝春秋
Steve Cutts 公式ウェブサイト Steve Cutts - Home

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