【第58回】「作家・政治家」石原慎太郎氏《後篇》―「弟」石原裕次郎氏との生涯の関わり/「太陽にほえろ!」藤堂係長にみた昭和期の「大人」像―

※本稿の内容は筆者の個人的見解であり、筆者が所属する組織の公式見解を示すものではありません。
「大東亜戦争(対米戦争)後80年」の本年、「芥川賞作家」で国会議員・東京都知事を務めた「作家・政治家」石原慎太郎氏の遺した戦後史観、欧米史観を取り上げる。氏は1932年(昭和7年)9月30日、兵庫県神戸市生まれ(その後、神奈川県逗子市へ転居)の「昭和一桁」「戦後」(仏:Après-Guerre)世代。「昭和」「平成」「令和」を通じ國體の在り様に直言を呈した国士である。位階は正三位。
①「弟」石原裕次郎氏との生涯の関わり
(執筆中)
昭和を代表する「スター俳優」の一人、石原裕次郎氏は1934年(昭和9年)12月28日、兵庫県神戸市生まれ(その後、神奈川県逗子市へ転居)。兄・慎太郎氏より僅か(わずか)2歳年少の「昭和一桁」「戦後」世代である。慎太郎氏は著書の中で裕次郎氏を、後年の刑事ドラマ等での人物像「部下や目下の人間を思いやる良識ある大人」の側でなく、「兄や目上の人間に対して無軌道・放埓で自由奔放な危うい若者」の側として描写している。この印象の落差に筆者は率直に驚きを覚える。
慎太郎氏は1996年(平成8年)幻冬舎から刊行の著書『弟』で、裕次郎氏との生涯の関わりについて吐露している。(抜粋、下線・括弧内筆者)
『何もかも棒に振りかねない突然の失踪も、周囲の反発を押し切って作った独立プロも、その他いろいろ彼は彼だけの感性が受け入れる価値だけを信じ、それに殉じて生きていった。それは彼にとっては、現在が必ずしも現実では有り得ないような、男の強さであり孤独ともいえたろう。スタンダールがナポレオンについていった、あの時代にすでにいつも五年先をしか考えていないような男の厄介さ、あるいは当時の史家が「御狂い」(おくるい)としか書きようがなかった信長が勝手にやってのけたもろもろの事柄の、当人にとって、というよりも結局それが時代にもたらしたものの意味ということになれば、弟が何度か見せたあの一種の狂いようは、ある者はただプッツンとしか呼ばぬかも知れまいが、弟が弟としてあったことで初めて世にもたらされたものとして私には頷けるような気がする。』
『中学生の頃まで、弟は身の回りにかまわず泥だらけになって遊んでいたし、私は今思えば胸が悪くなるような、親にも教師にもお気に入っていただけるような出来のいい子供面をしていた。端正な我が容姿に比べてどうにも見劣りのする弟を眺め、兄として本気で憐れんだことさえある。しかしふと気づいてみると、弟はいつの間にか我が目を疑うような、私には全くないどこか無頼で精悍な当世風の魅力をそなえてしまっていた。それは私にとって意外かつ心外だったがどうにも認めざるを得ぬ突然の現実だった。私が密かに感じていたことを北鎌倉のお嬢さんが証して(あかして)くれた訳だ。それはいささかの屈辱を伴った、しかし認めぬ訳にはいかぬ二人兄弟の間の新しい事実だった。』
石原氏兄弟は、映画界の旧弊であった「五社協定」(※1)へ挑んでその束縛を崩す先駆的役割を務めている。「石原プロモーション」「三船プロダクション」による大作『黒部の太陽』制作に際し、慎太郎氏が東宝幹部二人へ交渉を持ち掛けた件(くだり)についても触れている。(抜粋、下線・括弧内筆者)
『「(前略)だから黒部に参加していた大企業たちが、関電のいうことを聞かぬ訳はない。鹿島にしろ清水、大成にせよ、どの一つをとっても、鹿島と同じように参議院議員の二人や三人押し出す力は優に持っています。いくら派手には見えても所詮興行で食っている映画会社が五つ束になっても、その内の一つにも太刀打ち出来はしませんよ。その連中が、自分たちのやってのけた大事業の記録を、三船(敏郎)や弟たちが映画にして残そうというのに、自分たちも意気に感じて挙げて協力しようというのを、五社協定か何かは知らないが筋の通らぬ話でそれを潰そうというなら、ならば我々で映画会社の一つを作ってでも実現しようじゃないか、三船と弟の骨は立派に拾うし、我々にとっても面白い話だ、といってますよ。それを御存知ですか」いったら二人は唖然とした顔で聞いていた。』
氏はまた「自身と夫人の死後に」との特異な条件で、2022年(令和4年)同じく幻冬舎から刊行された著書『「私」という男の生涯』でも、裕次郎氏について触れている。(抜粋、下線・括弧内筆者)
『思い返すと私たち兄弟は不思議な存在だったと思う。私が奇跡的に人生で破産せずに物書きになりおおせたのは、父親が死んだ後、家を破産に近い状態に追い込んだ見境ない弟の無頼放蕩のお陰で、忌々しくも羨ましく眺めていた彼の所行を挿話に仕立てた小説(『太陽の季節』)がきっかけだったし、私の小説が毀誉褒貶(きよほうへん)で世間の耳目を集め映画化され、それがきっかけで彼も映画スターになりおおせたのだった。』
『それでもなお私としては子煩悩だった父親の影響だろうか、彼のことがいつも心配不安でならなかった。彼もまた私の仕事ぶりに気を配り、私の作品の新刊が出ると真っ先に取り寄せ読みふけっていた。互いに世の中での存在が定着できた後も、互いに恩着せ合うこともなく、互いに離れたところにいながら意思はたしかに疎通していたものだ。』
(※1)五社協定:大手映画会社5社(一時期に6社)(松竹、東宝、大映、新東宝、東映、日活)が1953年(昭和28年)に調印した、各社専属の監督・俳優の貸し借りや引き抜きを禁止する協定
②「太陽にほえろ!」と昭和期の「大人」像
(執筆中)
筆者世代(1960年代生まれ)に最も認知される氏の代表像は、1950年代・日活株式会社所属の所謂「太陽族」映画のスター俳優としてではない。それはテレビのブラウン管における、1970年代・刑事ドラマの金字塔『太陽にほえろ!』の警視庁七曲署(東京都新宿区所在)・藤堂俊介捜査第一係長(通称・ボス)像である。同ドラマは1972年(昭和47年)から1986年(昭和61年)まで、日本テレビ系列で金曜日の20時枠で放送された全718回に及んだ長寿番組。
肩まで届く長髪に Bell Bottom の洋袴(ずぼん)など、1970年代風俗を代表する出で立ちの、危うい魅力を纏った若い刑事や犯人たち。これに対し、「三つ揃え」スーツ(幅広の襟とネクタイ)に整然と身を固めた氏の姿はまさに良識ある「大人」の象徴であった。「世の中」というものを知らぬ当時小学生の筆者が、「大人」とは、また「上司」とは「(男の)仕事」とは斯くあるものと学び得た作品である。同氏(ボス)が危険下にある部下の捜査状況や事件被害者の辛苦に思いを馳せながら、一人、窓のブラインドの隙間から渋く苦み走った表情で外を見つめる場面が印象に残る。
本作品について、兄・慎太郎氏が著書『弟』の中で「家父長」に通じる側面を言及している。まさに言い得て妙である。(抜粋、下線・括弧内筆者)
『ただ、身内の贔屓目(ひいきめ)でいうつもりもないが、「太陽にほえろ!」というあの刑事物シリーズで弟が演じたいわゆる刑事部屋のデカ長の役割は、刑事たちの部屋でのただ上司ということではなしに、その頃から日本の社会の中で希薄になってきていた父親の権威、だけではなしに父親にからまるもろもろの、あるべき男のイメイジを代行していたと思う。他のテレビ局にもそれぞれ工夫を凝らした刑事物シリーズがありはしたが、弟が演じたデカ長のいるシリーズが圧倒的に人気があったのは、弟が意識もせずに、実は父性の衰退の時代の中で人々が感じていた不安不満をなんとか解消するような人格を演じていたせいだ。』
また裕次郎氏の役どころの意義について、興味深い見方を披露している。(抜粋、下線・括弧内筆者)
『あの頃の弟が軸になっていたドラマ・シリーズで注目されていいのは、弟はあくまで展開される劇の芯であり軸ではあっても、劇の中での華やかな役割はむしろ他の若い俳優たちだったことだ。弟の役どころ、とういうか演技はただ部下からかかってくる電話をとって判断したり訓令したり、ある時はさらなる上司に向かって皆に代わって凄味を利かせながら静かに盾をついて押し切るといったものだった。眺める私にとってはどれも驚くほど同じ印象の作品ばかりだったが、その内に私もあることを理解出来るようになった。そんな性格の役を務めながら、それを繰り返すことで弟は今までの映画でとは違った、しかしこの時代のある強い要望に応えての仕事を果たしているのだということが。』
また石原プロモーション制作による1976年(昭和51年)から1979年(昭和54年)放送の刑事ドラマ『大都会』、その後継作品でテレビ朝日・石原プロモーション制作、1979年(昭和54年)から1984年(昭和59年)放送の『西部警察』も筆舌に尽くし難い。両ドラマで渡哲也氏が主演する黒岩頼介刑事・大門圭介刑事ら現場刑事の捜査を、常に「陰から」「脇から」支え見守る役どころは「上司」像の最たるものに映る。『西部警察』ドラマ終尾に流れた秀逸な主題歌で、人生の哀歓が深く滲む「歌手」裕次郎氏の歌声が胸に響く。
『みんな誰かを愛してる』 作詞:なかにし礼氏、作曲:平尾昌晃氏
『夜明けの街』 作詞:池田充男氏、作曲:野崎真一氏
令和の世、筆者は氏が早世した際の年齢(52歳)を上回る「大人」となったが、昭和期の「大人」が備えた貫禄や分別、包容力との斯くもの懸隔に恥じ入るばかりである。
※参考文献
石原慎太郎『日本よ、完全自立を』、2018年(平成30年)、文藝春秋
石原慎太郎『「NO」と言える日本:新日米関係の方策』、1989年(平成元年)、光文社
『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』、2020年(令和2年)、中央公論新社
保阪正康『昭和天皇(上下)』、2019年(令和元年)、朝日新聞出版
石原慎太郎公式ウェブサイト 石原慎太郎公式サイト
石原慎太郎『太陽の季節』(全5編『太陽の季節』『灰色の教室』『処刑の部屋』『ヨットと少年』『黒い水』)、1957年(昭和32年)、新潮社
石原慎太郎『弟』、1996年(平成8年)、幻冬舎
石原慎太郎『「私」という男の生涯』、2022年(令和4年)、幻冬舎