【第95回】日本神話の神々《其ノ三》神武東征(Eastern Expedition of Jinmu)《後篇》太陽信仰と天照大御神/修身教育と「日の丸」(Hi no Maru)
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。
①太陽信仰と皇祖神・天照大御神
(執筆中)
日本人は古来より農耕民族としてあらゆる自然物を崇拝し、特に五穀豊穣をもたらす「太陽」に対して、そこに宿る神を見い出し信仰の対象としてきた。皇祖神(天皇家の祖とされる神)である「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)は太陽神であり、創造神(国生み)の「イザナギ」「イザナミ」から生まれたとされる 。「日本書紀」および「古事記」の伝承によると、天照大御神が天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる洞窟に閉じ篭った際に国中が暗闇に包まれ(岩戸隠れ)、八百万(やおよろず)の神々が策を講じて天照大御神が岩戸の外に出ると、再び太陽の光が差して調和と秩序が戻ったという。
「神日本磐余彦火火出見天皇」(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)(※1)は、日向(ひむか/現在の宮崎)の「高千穂の宮」から瀬戸内海を東に進んで難波(現在の大阪)に上陸、生駒の豪族「長髄彦」(ながすねひこ)に阻まれ南下して熊野へ回った。その折、兄である五瀬命(いつせのみこと)が「我々は日の神の御子として、日に向かって(東に向かって)戦ったのは良くなかった。日を背に受け、これを味方として(西に向かって)敵を討とう」と言い遺したとされる。そこに飛来した「八咫烏」(やたがらす)(※2)<日本書紀では「金鵄」(きんし)(※3)>に導かれて吉野の険しい山を越えて大和に入る。周辺の勢力を従え最後に宿敵・賊軍の長髄彦を倒して大和を平定(神武東征)。「紀元前660年2月11日」(皇紀元年/辛酉年1月1日)に畝傍山の東南、「橿原宮」(かしはらのみや)(皇居)にて、第一代天皇「諡(おくりな)・神武天皇」に即位されたとある。
また飛鳥時代の607年(推古15年)、摂政・聖徳太子が隋に小野妹子(おののいもこ)を派遣(遣隋使)の折、皇帝・煬帝(ようだい)に宛てた書簡において、「日出(いず)る処の天子、書を日沈む処の天子に致す」と記した。それが後に「日の丸」において、「朝日の赤い色」が用いられたものと考えられる。
天皇家は世界最古・最長の万世一系(ばんせいいっけい)による王家・王朝(Dynasty)で、令和の今上陛下(諱・徳仁/なるひと)で第126代となる。「日本書紀」および「古事記」の伝承によると、2,600年以上の歴史を有し、実在が確かな天皇から数えても世界最古・最長といえる。6世紀前半に実在し血筋の連続性が確かとされる、第26代「継体(けいたい)天皇」から数えても100代、1,500年以上を経る。
(※1)神日本磐余彦火火出見天皇:日本書紀における諱(いみな)
(※2)八咫烏:古事記における神武天皇東征の際、熊野から大和へ入る山中を導くため「高御産巣日神」から遣わされたとする、3本足の大きな烏(からす)(Three-legged Raven)
(※3)金鵄:日本書紀における神武天皇東征の際、熊野から大和へ入る山中を導くため「天照大御神」から遣わされたとする、金色に光り輝く鳶(とび)(Golden Kite)

⇧橿原神宮「紀元祭」 紀元祭 – 橿原神宮 、「外拝殿」(げはいでん)前庭の様子
②修身教育の神話的國體観と「日の丸」
国旗「日の丸」は正式名称を「日章旗」(にっしょうき)といい、白地の中心に赤(紅)い丸(日章)が付され、「白」は清く穢(けが)れのない生き方を「赤」は偽りのない真心を意味するといわれている。また光条(光線)を全方向(十六条など)に走らせた「旭日旗」(きょくじつき)は、太陽および朝日(旭日)を意匠化したものである。
以下は「尋常小学修身書児童用巻三(小学三年生用)/1936年(昭和11年)」の内容である。※下線筆者
きょうは明治節(※4)です。どの家にも、日の丸の旗が朝風にいきおいよくひるがえっています。この村には、もと、祝日に日の丸の旗の立たない家もあったそうです。それが、今から十年ほど前に、村中そうだんして、どの家でも日の丸の旗を作りました。そうして、いつもは、しぶ引のふくろに入れ、ふくろの上に旗を立てる日を書いて、神棚の下にかけて置くことにしました。それからはこの村には、祝日や祭日に旗の立たない家は、一けんもなくなったということです。どの国にも、その国のしるしの旗があります。これを国旗といいます。日の丸の旗は日本の国旗です。我が国の祝日や祭日には、学校でも、家々でも、国旗を立てます。これは国民が、祝日には、おいわいの心持をあらわし、祭日には、つつしみの心持をあらわすためです。日本の船が外国のみなとにとまる時には、日の丸の旗を立てます。また、国々のうんどうせんしゅが集って、きょうぎをする時にも、日本のせんしゅが勝つと「君が代」の奏楽とともに、日の丸の旗が高くあげられます。こういう時に、勇しい日の丸の旗を見上げると、日本人の胸は、国を愛する心で一ぱいになり、思わず涙が出ます。日の丸の旗は、日本のしるしですから、私たち日本人は、だれでもこれを大切にします。それと同じように、外国の人も、自分の国の国旗を大切にします。 私たちは、外国の国旗にも、れいぎをうしなわないように心がけましょう。
以下は「国民学校初等科修身(一)教科書(三年生用)/1942年(昭和17年)」の内容である。※下線筆者
十六 日の丸の旗
どこの國でも、その國のしるしとして、旗があります。日本の旗は、日の丸の旗です。朝日が、勢よく、のぼって行くところをうつした旗です。若葉の間にひるがへる日の丸の旗は、いかにも明かるく、海を走る船になびく日の丸の旗は、元気よく見えます。青くすんだ空に、高々とかかげられた日の丸の旗は、いかにもけだかく、雪のつもった家の、軒先に立てられた日の丸の旗は、何となく暖く見えます。日の丸の旗は、いつ見ても、ほんたうにりっぱな旗です。祝祭日に、朝早く起きて、日の丸の旗を立てると、私どもは、「この旗を、立てることのできる國民だ。」「私たちは、しあはせな日本の子どもだ。」と、つくづく感じます。日本人のゐるところには、かならず日の丸の旗があります。どんな遠いところに行ってゐる日本人でも、日の丸の旗をだいじにして持ってゐます。さうして、日本の國のおめでたい日や、記念の日には、日の丸の旗を立てて、心からおいはひをいたします。敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集まって、聲をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。日の丸の旗は、日本人のたましひと、はなれることのできない旗です。
「日の丸」は、1890年(明治23年)の「教育勅語」発布以後、学校教育(尋常小学校・高等小学校・国民学校)を通して、祝祭日の掲揚とその意義の啓発が行われた。こうした修身教育の場で尊重されたのは、まさに「神話的國體観」に裏打ちされた「国や家への敬慕」であった。「日の丸」は、長い時を経て1999年(平成11年)施行の「国旗及び国歌に関する法律」 国旗及び国歌に関する法律 | e-Gov 法令検索 で、ようやく正式な国旗として規定された。
(※4)明治節:明治天皇の誕生日にあたる11月3日の祝祭日

⇧2025年大阪・関西万博会場・西ゲート前に掲揚された万国旗
【参考】日本神話の系図(「日本書紀」「古事記」表記を基に筆者作成、薄青:男神/薄赤:女神) 家系図をエクセルで作る方法を動画で解説!無料テンプレート付き! | 家系図作成の家樹-Kaju-

※参考文献
溝口睦子『』、岩波書店、2009年
外池昇『神武天皇の歴史学』、講談社、2024年
神社本庁 神社本庁公式サイト







