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※本稿は右記の一次資料に依拠、参照の上、執筆しています。『髙島屋百五十年史』、1982年(昭和57年)、髙島屋百五十年史編纂委員会

先週末、大阪市浪速区は日本橋「髙島屋東別館」内の「髙島屋史料館」(高島屋史料館 (takashimaya.co.jp))を訪れました。向学のため当社海外渉外顧問のWolf筆者内縁)を帯同しました。

⇧「堺筋」沿いに建つ「髙島屋東別館」、1928年(昭和3年)竣工(第1期工事落成)、建築家「鈴木禎次氏」による設計、2021年(令和3年)国の重要文化財に指定

筆者が十年 ( ととせ )以上仕えた、「株式会社髙島屋」(高島屋 (takashimaya.co.jp))の創業家初代、飯田新七氏は京都の米穀商、飯田儀兵衛氏長女の婿養子となったのち分家独立、1831年(天保2年)正月、京都・烏丸松原で古着木綿商を開業しました。その折、本家(飯田儀兵衛家)が近江国高島郡(現:滋賀県高島市)出身で屋号が「たかしまや」であったことにちなみ、飯田新七氏も屋号を「たかしまや」と称しました。1919年(大正8年)に「株式会社髙島屋呉服店」が設立され、1930年(昭和5年)には「株式会社髙島屋」へ改称、以来同社は創業190年余にわたり関西資本で独立系の老舗百貨店として広く知られています。

「髙島屋史料館」は、創業家で「株式会社髙島屋」4代目社長の飯田慶三氏(※1)の提唱により、1970年(昭和45年)、株式会社設立50周年記念事業の一環として、髙島屋東別館3階に開館しました。同館は、呉服を中心として発展してきた同社の歴史を知り、業務上の参考に供することを目的としたものでした。なお飯田慶三氏は社長就任と同年、日本百貨店協会の第3代会長に就任し、業界の発展にも寄与しています。同氏は1958年(昭和33年)、ニューヨーク5番街に「ニューヨーク髙島屋」を、続く1959年(昭和34年)には横浜駅西口に「横浜髙島屋」を開店するなど同社の発展に尽くし、1960年(昭和35年)に社長を退いて会長に就任、1993年(平成5年)逝去。従四位勲二等瑞宝章。(※2)(※3)

我が国の「商標法」は1900年(明治33年)に施行されましたが、これに先立つ「商標条例」が1884年(明治17年)に公布されています。これに基づき同社は1886年(明治19年)、創業家3代目、飯田新七氏の折、「企業ロゴマーク(丸に梯子高)」に若松を巻いた図案を商標登録しています。「ローズちゃん」(一説に性別、年齢、国籍不詳とも)は、1959年(昭和34年)に誕生した「ハッピーちゃん」(クリスマスセールのマスコット人形で、赤と緑の二体の妖精ハッピーちゃん)をその前身とし、1962年(昭和37年)に聖歌隊の人形として同社マスコットキャラクターとなりました(洋画家、高岡徳太郎氏(※4)によるデザイン、株式会社ノバ・マネキン製作)。以来60年余もの間、同社経営理念「いつも、人から。」の愛らしい体現者としてファミリー顧客の間で親しまれています。ちなみに高岡徳太郎氏は、(旧制)大阪府立堺中学校(現:大阪府立三国丘高等学校)で、同社創業家、元社長・会長の飯田慶三氏の後輩にあたる縁から(※3)、同社大阪店の宣伝部に在籍していた時期もありました。

この「ローズちゃん」は特許庁の情報プラットフォーム「J-PlatPat」(特許情報プラットフォーム|J-PlatPat [JPP] (inpit.go.jp))で検索すると、1962年(昭和37年)に「称呼(ローズちゃん)」で商標登録(登録番号:第0591281号)ののち、相当の間を置いて2008年(平成20年)、「称呼」に加え「図形(裸の子供)」としても登録(第5150557号、第5152537号)がなされています。「ローズちゃん」以外でも同社は、1904年(明治37年)に「企業ロゴマーク(丸に梯子高)※前述の図案から若松を除いたもの」(第0022106号)、1964年(昭和39年)に「バラの花の図形(線バラ)」(第0641751号、第0657232号)など、総数252件におよぶ登録商標を有しています。これらのトレードマークは50年、100年という長い時間をかけてファミリー顧客に育まれ、高い認知と信用が醸成されたものと窺えます。

かつて流通小売の雄であった同社の年間連結売上高は、1兆円の大台を突破したバブル期<1989年(平成元年)前後>をピークに、社会の急激なIT・デジタル化、オンライン消費志向、また新興の流通小売業態に押され、現在は半減の憂き目にあります。しかしながら伝統的な「文化芸術」「価値観」すなわち「無形資産」の守り手としての使命・役割は、革新的な「科学技術」や「テクノロジー」の進歩、また「効率優先主義」といったものとは異なる次元に、今も息づいています。「ローズちゃん」はまさに2020年代の令和の御代にこそ、「心の通い合う対面のつながり」と「血の繋がるファミリーがもたらす温もり・安らぎ」を守り継ぐ存在であってほしく思います。

(※1)飯田慶三氏:創業家で、1952年(昭和27年)より「株式会社髙島屋」の4代目社長、包装紙モチーフのバラを提唱
(※2)出典:『三丘同窓会会員名簿 第44号』、2022年(令和4年)12月、三丘同窓会、飯田慶三氏は(旧制)大阪府立堺中学校の第21期で大正9年3月卒業
(※3)出典:『三丘百弐十年』、pp.48-49、三丘人物誌『実業家 飯田慶三 髙島屋 4代目社長 社業発展に貢献』、2015年(平成27年)10月、大阪府立三国丘高等学校 創立百二十周年記念事業実行委員会
(※4)高岡徳太郎氏:1902年(明治35年)大阪府堺市生まれ、洋画家、株式会社ノバ・マネキン社長・会長、「バラの包装紙」(3代目となる「輪バラ」、品種はモダンローズ)のデザインも同氏による <参考>現在の4代目デザインは、ドイツの国立マイセン磁器製作所(Porzellan-Manufaktur MEISSEN)から髙島屋へ贈られた絵皿がモチーフ

⇧お土産、花束ローズちゃん(左上)、緑のスーツの制服ローズちゃん(左下)、あれこれ楽しい歴代ローズちゃん(右)

⇧髙島屋提供「ロンパールーム」とローズちゃん(左)、「バラの包みの髙島屋♬」で親しまれる包装紙(右)

「ロンパールーム」は小学校入学前の幼児向け番組として、同社が1968年(昭和43年)から1978年(昭和53年)まで提供を行い、CMも番組内容に合わせ、ローズちゃん人形を用いた”タカシマヤのローズちゃん”のアニメーションシリーズを展開しました。

⇧髙島屋「南海店」(現:大阪店)のジオラマ、同建築は2011年(平成23年)国の登録有形文化財に登録(写真左)、富永直樹氏制作「ファミリー」記念像(現在は大阪店ウインドー内に設置)(写真右)

⇧<参考>『髙島屋百五十年史』、(左下)「店是」、(右下)「ごあいさつ」飯田新一氏(創業家で「株式会社髙島屋」5代目社長)

⇧<参考>『髙島屋百五十年史』、「歴代店主・社長」および飯田慶三氏(創業家で「株式会社髙島屋」4代目社長)

⇧<参考>(左上)『三丘同窓会会員名簿 第44号』、2022年(令和4年)12月、三丘同窓会、(右上)『三丘百弐十年』、2015年(平成27年)10月、大阪府立三国丘高等学校 創立百二十周年記念事業実行委員会、(下)(同)pp.48-49、三丘人物誌『実業家 飯田慶三 髙島屋 4代目社長 社業発展に貢献』

⇧<参考>大阪府立三国丘高等学校/(旧制)大阪府立堺中学校、(上)西門、筆者も学び愛着ある「昭和校舎」は現存せず、(下)正門と「平成校舎」

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