【第104回】「京都哲学研究所」《其ノ三》人工知能(Artificial Intelligence)と技術依存社会/アリストテレス(Aristotle)「徳倫理学」(Arete)―
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

⇧フランスの彫刻家 Auguste Rodin の代表作『考える人(Le Penseur)』塑像(「京都国立博物館」前庭展示)と、作品に対峙する Wolf(脳神経学博士・当社海外渉外顧問)
(執筆中)
近時、全世界のあらゆる分野(産官学・軍事・文化芸術等)において、人工知能(Artificial Intelligence、以下「AI」)の普及が急速に進んでいる。この背景には、社会全体が「効率向上」「コスト削減」(費用・時間・労力等)を優先し、単に AI のみならずスマートフォンや SNS(Social Networking Service)等も含め、新興技術(Technology)全般へ依存する方向に歯止めなく流れる様子がみてとれる。本稿ではこうした「技術依存社会」において、「人間」が備えるべき「倫理」(Ethics)「価値観」(Sense of Values)「徳」(Virtue)「善」(Good)に着目し、西洋哲学において古代ギリシャの Aristotle(アリストテレス)が提唱した「徳倫理学」(Arete/Virtue Ethics)を取り上げ概観する。
①西田哲学と「京都哲学研究所」
西田幾多郎(にしだきたろう)氏は、戦前から戦中にかけて「西田哲学」/「京都学派」を創始し、代表的著作『善の研究』などで知られる哲学者(京都帝国大学名誉教授)。「西田哲学」は西田氏の家族に起きた、度重なる不幸に遭遇した「哀しみ」から生み出されたとされる。同じく京都大学名誉教授で社会思想家の佐伯啓思(さえきけいし)氏は、著書のいくつかで西田氏を取り上げている。佐伯氏は著書『西田幾多郎―無私の思想と日本人』『自由と民主主義をもうやめる』などにおいて、いくつかの根源的な命題に触れ卓見を述べている。(以下は筆者概括)
■「近代 Liberalism(自由主義)」の失敗
・ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナ、イスラム過激派の台頭、中東の不安定化、中国やインドの大国化とグローバル・サウスの台頭など、リベラルな価値の普遍主義を掲げる、米国(西洋)の Globalism が現在機能していないことは明らかである。
・これは約100年前の第一次世界大戦後に生み出された、米国(西洋)による「リベラルな世界秩序(自由と民主主義を守る Globalism)」と「リベラルな経済運営(市場競争と補完的な福祉主義)」の失敗を意味している。すなわち、「自由」「民主主義」「法の支配」、また公正な市場競争、無難な経済政策を組み合わせて社会秩序を維持しようとする、「近代 Liberalism」の失敗である。
■大東亜戦争(対米戦争)下で説かれた「絶対矛盾的自己同一」
・世界各国の世界史的な使命は、同時に他国の承認を得て、また他国の独自性も承認するという歴史的な意義をもたねばならず、独善的であってはならない。これが西田氏の説く「多にして一の世界」であり「矛盾的自己同一の世界」であった。
・主権国家が多様に個性化する運動と、歴史的世界が一つになって自らを生成してゆく運動、この二つが同時に生じている。すなわち二重の運動が同時に生じる。あるいは硬貨の裏表の様な「同一現象の二つの側面」ともいえる。
■(大学の)「国際化」の真義
・戦前は帝国主義的な状況下、敵国(米国・英国)の本を手にしているだけで「非国民」といわれ、英語を話すなど言語道断という風潮があった。ところが今日まったく逆転し、Global な経済競争に勝つためには、国民を挙げて英語を話せる様にしなければならないという。
・こうした英語教育を否定しないまでも、その前に為すべきことがある。「手段」であるはずの英語が「目的」となっている。まずは自前の日本語で自己を表現し、他人と議論でき、家族や友人と真面(まとも)な会話ができることが先決。
・明治期、文明開化の時代に福沢諭吉公は『文明論之概略』の中で、思慮浅い人は古いものを捨てて国際化を進めれば文明化できると考える。しかしそれは外形だけのことで、日本人に一片の「独立心」がなければ何の意味もない、と記している。
■「無の思想」の概念―「絶対無」(独:Absolut Leere ※筆者訳)
・「絶対無」とは、西洋的な「有(存在)(独:Existenz ※筆者訳)の論理」に対する日本(東洋)の根源的で「絶対的」な概念。西洋では「無」(独:Nicht ※筆者訳)はあくまで「有(存在)」の否定形(非存在)。しかし日本人(東洋)に馴染む「無」(独:Leere ※筆者訳)は必ずしも「有(存在)」の否定ではない。いわば「無」は「有」を包摂し、「有」を背後で支え、「有」も「無」も超越したある境地と捉えられる。[とすれば、数多の惑星や星系(生命)を包み込む広大な宇宙空間(真空)の如き場所か。※筆者の認識]
・実在の究極に、絶対的な存在である「神」を見る西洋的思考では、絶対者(神)は己の「外面」にある絶対的な他者となる。これに対し日本(東洋)的な観念では「絶対的」なものが「無」へ向かい、「私」や「我」を消し去り自己の「内面」(鏡)を深く覗き込むことで、根源的な精神の境地ともいうべき「無」へ行き着く。
・「般若心経」(はんにゃしんぎょう)(※1)の根本教理にある「色即是空(しきそくぜくう)」(※2)「空即是色(くうそくぜしき)」に通底する。
■「無私」と「一期一会」(いちごいちえ)の精神性
・「無」の概念が日本人の行為の理解にも影響を及ぼしている。「私」を消し去ることによる「無私」の行為。そして行為の純粋さそのものに意味を与える。
・「無の思想」では、あらゆる日常の些細な出来事の中にも「一期一会」の邂逅(かいこう)を通した「無」を見る。一瞬で散りゆく桜に「死」や「無」を投射し、生の儚さ(はかなさ)、散り際の美学、時間の過ぎ行く無残さなどを見る。
・ただ「一つ」のものとの邂逅にすべてがあり、「世界」はものによって充満するのでなく「一つ」のものの中に「世界」があると考える。
NTT 取締役会長の澤田純氏は、2021年(令和3年)に『パラコンシステント・ワールド―次世代通信 IOWN と描く、生命と IT の〈あいだ〉』を著した。澤田会長は同著で、二律背反(二項対立)する A も B も同時に存在(実現)する「矛盾許容論理」すなわち「Paraconsistent Logic」について、前述した西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」の概念に近いものと捉えている。
「consistent」とは「矛盾を含まない」(形容詞)との意であり、「inconsistent」とは「矛盾を含む」(形容詞)との意。「矛盾を含む」場合、命題は否定され論理は破綻してしまう。一方「paraconsistent」とは、「矛盾をそのままに許容・包摂した」(形容詞)との意味をもつ。「para」(接頭辞)は「beside」や「parallel 」に近い意味と考えられる(※筆者の認識)。よって「Paraconsistent Logic」とは、二律背反(二項対立)する問題(A か B か)について A/B 間の矛盾をそのままに許容・包摂しながら、A と B の「同時実現」を目指す第三の道(論理体系)といえる。そこでは、命題は否定されず論理も破綻しない。現代社会ではA か B かといった「二元論」(Trade-Off)で解決不可能な事象が数多く存在する。「パラコンシステント・ワールド」においては、それらを解決するため「利他(※3)的共存」の下に企業の成長と社会的課題の解決を包摂し、「同時実現」を目指すとしている。
同会長は西田幾多郎氏と同じく京都大学の出身。西田哲学/京都学派の流れを汲む国内・海外(ドイツ他)有識者の賛同を受け、2023年(令和5年)7月に京都の地で「一般社団法人 京都哲学研究所」 京都哲学研究所 を創設した。同研究所では、「価値多層社会」の実現に必要な哲学思想の構築と社会的課題の解決を目指している。
【参考】「町田徹の経済チャンネル」(2026年2月27日)
なぜICTの巨人NTTが哲学の研究所を設立したのか。驚きの決断を、澤田会長にふかぼりインタビュー
(※1)般若心経:正式には「般若波羅蜜多心経」(はんにゃはらみったしんぎょう、梵:Prajñā-pāramitā-hṛdaya)、「空」(くう)の中心思想をもつ「大乗仏教」の「経典」のうち、最も短く凝縮された一巻でインドの原典を漢語訳したもの
(※2)色即是空:この世の「目に見える万物」に実体はなく、その本質は「空」(くう)/「無」であって時々刻々変化するとの意
(※3)利他(りた):自らの利益や幸福のみを図る(利己的振る舞い)のでなく、それ以上に他者の利益や幸福を気遣い扶助する道徳的価値、キリスト教の「愛」や仏教の「慈悲」、儒教の「仁」などに通底、また一方では、自然環境の「生態系」(Ecosystem)において動植物が相互に依存・影響し合う「共存共栄」の概念
②Aristotle と「徳倫理学」
・哲学(Philosophy)の語源は、「知」(Sophia)を「愛する」(Philein)との意味である。
・17~19世紀にかけて、哲学から「科学(自然科学)」(Science)が枝分かれした。
・哲学は4つの主題に分類される。「倫理学(Ethics)」(善悪・価値判断)「形而上学(Metaphysics)」(世界の本質)「認識論(Epistemology)」(世界の認識・認知)「論理学(Logic)」(思考の本質)である。
・このうち倫理学は、「善悪」の概念やその判断基準(価値観)について考察するものである。
・「徳倫理学」は、倫理学における「規範倫理学」(Normative Ethics)の1つに属し、同じく規範倫理学に属する「帰結主義」(Consequentialism)/「功利主義」(Utilitarianism)や「義務論」(Deontology)と対置される。
・「徳倫理学」は Aristotle を起源の1つとし、帰結主義/功利主義と義務論が「行為」の「帰結(結果)」を「正しさ」の評価とするのに対し、「行為者(個人)」の「性格」および「動機」に着目し、「美徳」と「道徳的性格」を「正しさ」の評価とする考え方である。そして「有徳の(徳のある)人」がある状況下で行うであろう「行為」をもって「正しい」と考える。
・Aristotle は、Plato(プラトン)の弟子であり、また双璧を成す古代ギリシア最大の哲学者であり万学の祖とされる。Aristotle は「徳(美徳)」や「善」を、「超過/過剰」と「不足」という両極(悪徳)の中間にある「中庸」(Golden Mean)(調和のとれた程の良い状態)であるとした。
※参考文献
澤田純『パラコンシステント・ワールド―次世代通信 IOWN と描く、生命と IT の〈あいだ〉』、NTT 出版、2021年
ニュートンプレス『』、ニュートンプレス、2026年
『』、筑摩書房、2014年
品川哲彦『』、中央公論新社、2020年
西田幾多郎『』、岩波書店、1950年
佐伯啓思『西田幾多郎―無私の思想と日本人』、新潮社、2014年
佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』、幻冬舎、2008年
佐伯啓思『さらば、民主主義―憲法と日本社会を問いなおす』、朝日新聞出版、2017年
佐伯啓思『反・民主主義論』、新潮社、2016年
Alexis de Tocqueville、岩永健吉郎(訳)『アメリカにおけるデモクラシーについて』(原題 仏:De la démocratie en Amérique)、中公クラシックス、2015年
Patrick Deneen、角敦子(訳)『リベラリズムはなぜ失敗したのか』、原書房、2019年






