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時論

※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

(【第96回】から続く)

「帝国主義」(Imperialism)とは、19世紀から20世紀前半にかけて欧米列強(西欧諸国および米国)が、アジアやアフリカを中心に世界のほぼ全域で自国の利益・領土・勢力の拡大を図った、他国や他民族の分割支配競争(政治・経済・軍事面での従属、暴虐行為や人種差別、思想・言語の強制、植民など)の潮流をいう。独占資本主義の転化と見る説もある。その起源は古代ローマ帝国の Imperium に遡る。Imperium とは命令権、すなわち最高公職者権限(行政的執行権)の総称を指す。しかしローマ帝国がカルタゴなどとの不断の戦争によって地中海に覇権を確立するとともに、Imperium はローマ帝国による他民族の支配を意味する様になった。これと並行して、その支配形態も元老院などの法的手続を経た正当な授権に基づくものから、軍事力と富にものをいわせたあからさまな権力行使が増加するに至った。

近代に入っての帝国主義は、1814年のウィーン会議(Congress of Vienna)から第一次世界大戦に至る100年ほどの間に顕著であった。1830年代のフランスにおける Napoléon Ier による帝国の版図回復をめざす集団が帝国主義者と呼ばれ、次いで1840年代末より Napoléon III による植民地獲得のための海外派兵と膨張主義がそれに該当する。また英国では、1840年代にインドにおける植民地(東インド会社)の拡大が急速に行われ、1840年代末よりオーストラリアなど移住植民地への移民が急増した。19世紀中葉に、英国は世界全域で通商上の覇権を確立するとともに軍事力を発揮し領土の併合を行っていった。19世紀末には軍備を増強して「世界政策」を掲げる欧州列強諸国間の競争が激化し、20世紀に入り1914年に第一次世界大戦が勃発した。これらは、世界中の非白人地域に対する「植民地支配」(Colonial Rule)競争がその飽和点に達し植民地の文明化を大義名分として正当化Justificationされてきた歴史の一つの帰結であった。そして1945年の第二次世界大戦終結により、アジア・アフリカなどの植民地諸国における宗主国からの独立運動をみた。

なお筆者の認識では、この植民地支配側の対象からドイツ(およびドイツ系米国人)を除外したい。ドイツは神聖ローマ帝国(独:Heiliges Römisches Reich)(※1)の系譜を継ぐ、長い歴史を有する極めて卓越した民族・大国といえる。にもかかわらず、日本同様に領邦国家(独:Territorium)(※2)の権限が強かったため、中央集権体制と統一国家の形成が遅れた(19世紀後半)。そうした歴史の綾から、対外的な(有色人種の土地への)植民地獲得の動きは他の欧米諸国と比して極めて小さかったといえる。また20世紀に入っても、「帝国主義の先発国」対「後発国」の構図となった第一次世界大戦での敗戦に続き、第二次世界大戦における敗戦国として、これまた日本同様に、戦勝国(連合国)から Nuremberg 裁判において、一方的かつ徹底的に裁かれる立場にあった。あたかも出る杭が打たれるが如く、その卓越性故に国力を削がれたのである。剰え(あまつさえ)、米国・英国・フランス・ソビエト連邦の4ヶ国による「分割統治」と、この後生じた Ideology 陣営対立(自由主義社会 × 社会主義社会)の煽りを受け、1989年まで長らく続いた「東西分断」の悲劇を被っている。

(※1)神聖ローマ帝国:962年に「オットー1世」(独:Otto I)がローマ教皇から戴冠を受けドイツ王国を基盤に成立した帝国の呼称

(※2)領邦国家:皇帝権から独立して領邦内の主権を行使した三百有余の部分国家的な諸侯領

①東インド会社によるアジア植民地支配

東インド会社は17世紀初頭から19世紀中頃において、英国、オランダ(およびフランス等の欧州諸国)が、それぞれにインド、東南アジアとの貿易および植民地経営を行った独占的特許会社(特権会社)をいう。英国は1600年、女王 Elizabeth I が東インド会社(British East Indian Company)に特許状を与えて東インド貿易を一手に行わせた。1841年に起こった「阿片戦争」(Opium War)は英国が中国(清)に仕掛けた侵略戦争である。英国側は東インド会社が植民地のインドで阿片を栽培し清に輸出(密貿易)していたが、健康上の害と大量の銀の流出を憂えた清がこれを禁じたため英国が武力行使に出た。清はこの戦争に敗北し、①香港割譲②上海など5港の開港③賠償金支払い等を定めた1842年の「南京条約」受諾により、鎖国体制が崩れ半植民地化の端緒となった。

オランダ東インド会社(Vereenighde Oost Indisch Compagnie)も、ほぼ同様の特権をオランダ連邦議会から与えられた。第1回のオランダ船隊が1596年にインドネシア・ジャワ島のバンテンに到着し、胡椒を積荷にして帰国した。その後多くの会社が組織され、それらの船隊がアジアに派遣されたが、1602年にこれらが統合・設立された。オランダ東インド会社は英国のそれに比べて資本額は10倍あり、航海ごとに会社が設立され、解散せずに恒常的な組織を保つ世界最初の株式会社といわれる。江戸時代の日蘭貿易も東インド会社によって行われ、その総督府はジャワ島のバタビア(現・ジャカルタ)に所在した。

この東インド会社は貿易のみならず、海外での法律作成、同国人の密貿易処罰、条約締結、戦争遂行、貨幣鋳造などについての決定権が定められ、会社というよりも、一独立国家に等しい権力を備えていた。ここに筆者は、20世紀において日本の中国大陸進出の足掛りとなった国策会社、「南満州鉄道株式会社」(満鉄)の位置づけとの共通性をみる。満鉄は1905年(明治38年)、ポーツマス条約(日露講和条約)によって日本がロシアから譲渡された利権に基づき設立された。満鉄の経営はその後、「関東軍」の支配下で日本の傀儡国家「満州国」樹立につながる。大東亜戦争(対米戦争)終結に至る日本の「数十年間」の歴史経緯は、未だ現在においても世界から批判の的とされている。これに対して、英国・オランダ等による「数世紀」にわたる植民地経営(東インド会社)の歴史が、同様に見做されていないのはなぜであろうか。

②19世紀~20世紀前半における日本の軌跡とドイツ

19世紀(幕末から明治維新期)において日本は、欧米列強の帝国主義によるアジア植民地支配と有色民族統治の脅威に対抗し、その勢力に伍していくための現実解として富国強兵に邁進した。しかし20世紀に入り、縷々(るる)変遷する国際状況を見据えて協調路線に努めながらも、日清・日露戦争の勝利を経て国力を高めた日本は、欧米がそれ以前の数世紀間に植民地支配を行っていた東アジア・東南アジアへの進出を果たし権益の獲得に乗り出した。しかしこうした既得権益の奪取につながる動きに反発した欧米は、日本に対して経済封鎖(ABCD 包囲網(※3)による石油禁輸)の手段を講じた。そうした流れから結果的に、日本は大東亜戦争において米国・英国・フランスなどの連合国(戦勝国)に敗れ、戦後の国体解体を余儀なくされた。

ここに筆者は、帝国主義の「後発国」として欧州列強の植民地分割支配競争に遅れて参入し、既得権益をもつ英国・フランスなど「先発国」との対立の結果、2つの世界大戦での敗北と大戦間期(1919年)の「ヴェルサイユ条約」(Traité de Versailles)に基づく賠償金負担を強いられ、戦後の連合国(戦勝国)側による国体解体を余儀なくされたドイツとの共通性を垣間見る。

(※3)ABCD 包囲網:1930年代に日本に対し石油の輸出規制や在米資産凍結を行った、米国(America)、英国(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)各国の頭文字を並べたもの

⇧ドイツ連邦共和国総領事館が所在する、大阪市北区の梅田スカイビル・タワーイースト前に掲揚の日独国旗

③大東亜戦争がもたらしたアジア独立解放の意義

「大東亜共同宣言」は、1943年(昭和18年)11月にアジア諸国の首脳を集め東京で開催された「大東亜会議」で発表された共同宣言である。大東亜戦争の最中、日本政府はアジアを欧米の植民地支配から解放するとの理念(大東亜共栄圏)を提示して連合国に対抗するとともに、太平洋における連合国の本格的反攻に備えてアジア諸国の戦争協力を仰いだ。共同宣言では、1941年の「大西洋憲章」(英米合意)に対抗する戦後構想を提示せんとの日本外務省の意図により、自主独立の相互尊重や互恵に基づく経済連携、人種差別の撤廃といった理念が本文に盛り込まれた。

会議には日本の東条英樹首相に加え、満洲国の張景恵(ちょう・けいけい)国務総理、中国南京政府の汪兆銘(おう・ちょうめい)行政院長、ビルマ(当時)の Ba Maw 行政府長官、フィリピンの José Paciano Laurel 大統領、タイの Wan Waithayakorn 親王、自由インド仮政府の Subhas Chandra Bose が参加した。

以下は「世界はどのように大東亜戦争を評価しているか」と題した、保守系団体「日本会議」による各国識者見解の紹介である。(引用・識者名表記改変筆者) 世界はどのように大東亜戦争を評価しているか « 日本会議

■イギリス
Arnold Toynbee 歴史学者
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)

■アメリカ
Joyce Lebra コロラド大学歴史学部教授
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(「東南アジアの解放と日本の遺産」)

George Kanahele 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。…このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」(「日本軍政とインドネシア独立」)

■オランダ
Eduard van Thijn アムステルダム市長 現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

■タイ
Kukrit Pramoj 元首相
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

■マレーシア
Raja Dato Nong Chik 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

Ghazali Shafie 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」

Zainal Abidin 歴史学者
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」

■インドネシア
Mohammad Natsir 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」

Alamsyah 元第三副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」

Sambas 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」

Bung Tomo 元情報相
「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)

■インド
Sarvepalli Radhakrishnan 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭和44年、日本経済新聞)

Habibur Rahman 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」

Bhulabhai Desai インド弁護士会々長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)

■スリランカ
Junius Richard Jayewardene 大統領
「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」(1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)

ビルマ(当時)
Ba Maw 元首相
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。」(「ビルマの夜明け」)

■シンガポール
Goh Chok Tong 首相
「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成5年7月号)

※参考文献

木谷勤『帝国主義と世界の一体化』、山川出版社、1997年
松原久子(ドイツ語原著)、田中敏(訳)『れる白人と闘うための日本近代史』、文藝春秋、2005年
三谷郁也『白人侵略 最後の獲物は日本 ─なぜ征服されなかったのか 一気に読める500年通史』、ハート出版、2021年
石原慎太郎『「NO」と言える日本:新日米関係の方策』、光文社、1989年
安倍晋三(著)・橋本五郎(聞き手)・尾山宏(聞き手・構成)・北村滋(監修)『安倍晋三 回顧録』、中央公論新社、2023年

著者プロフィール

有田 仁(Jin Arita)

1966年(昭和・丙午)大阪府堺市生まれ。有田アセットマネジメント代表取締役。大阪工業大学大学院 知的財産研究科修了。NTT(日本電信電話) グループ等勤務。NTT研究所系教員門下で研究発表(専攻:国際標準化・標準必須特許)と米国系の業界団体活動(米国商工会議所・Cloud Security Alliance 等)に従事。研究論文に「自動運転システムにおけるクラウドネットワークの通信遅延条件(共著)」(日本知財学会 2016年)「クラウドセキュリティ技術分野の知的財産戦略に関する研究」(大阪工大院・紀要 2016年)等。

仁徳天皇陵を含む百舌鳥古墳群近傍に生を受け、外祖母の先祖は江戸初期より、出雲国・松江藩(松平家)に禄を食む。昭和改元時の宰相で重臣として昭和天皇を輔弼した若槻禮次郎男爵は遠い姻戚。国際オリンピック委員会(IOC)委員で貴族院議員の岸清一博士は親戚筋。連載コラム「時論」では社会の諸相を週次で論じ、還暦を迎えた己(おのれ)の人生を総決算。東西の歴史観・伝統的価値観の視座で、平成・令和社会への違和感を問う。

足繁く通う老健施設。母(要介護5/認知症)に五感で接する悦びは年毎に増し、当社海外渉外顧問の Wolf(脳神経学博士・心理学専攻)もこれに寄り沿う。その内助の功あり、2026年(令和8年)3月下旬、幻冬舎より書籍『平成・令和社会への違和感と伝統的価値観の復古』を刊行予定。座右の銘は「温故知新」「和魂洋才」「古今東西」。現下の関心事は 「矛盾許容」(Paraconsistent)。

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