【第130回】「認知症」高齢者の金融機関口座凍結に係る沈思黙考《後篇》―有吉佐和子氏『恍惚(こうこつ)の人』/痴呆の母想う心と施設介護の行く末―
⇧認知症の母が見せる、時に目を見開いて筆者(息子と認識してか?)を見つめ、また時に首を傾げた虚ろな表情は、無垢で移り気な猫の如し
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

⇧母が入所する介護老人保健施設(老健)、様々な専門職の方々に24時間体制でお世話になって早や2年半が経過
(執筆中)
今からおよそ半世紀前の1972年(昭和47年)に発表された、作家・有吉佐和子氏によるベストセラー『』は、近年の「認知症」(昭和期~平成期半ばの呼称は「痴呆症」)および「高齢者介護」問題に先鞭を付けた長編小説である。「恍惚」とは物忘れが激しいなど、老齢や病気のために意識がぼんやりしたさまをいう。翌1973年(昭和48年)には東宝配給・豊田四郎監督、森繁久彌氏(立花茂造)の主演、高峰秀子氏(立花昭子)、田村高廣氏(立花信利)、乙羽信子氏(京子)らによる映画化 公式オンラインストア恍惚の人 〈DVD〉: Blu-ray・DVD・CD もされた。当時の白黒映像を見ても、筆者にはいたく身につまされるものがある。
令和の現在、痴呆高齢者を扱った同書はますます今日性を強めている。社会福祉学者の森幹郎(もりみきお)氏が同書(新潮社)の解説で以下言及している(引用・抜粋・下線・括弧内、筆者)。これらは驚くべきことに1982年(昭和57年)当時の社会状況であり、現在はそこからさらに40年余りもの時間が経過している。
『本書で中心的な役割を果たすのは、茂造老人を献身的に介護する長男の妻・昭子である。その介護ぶりは、感嘆の一語に尽きる。昭子の夫、つまり、茂造の長男信利は、終始、悪役である。(中略)信利が、「僕の人生の延長線上に親爺(おやじ)が立ちふさがって」いると言っているのも事実で、「耄碌(もうろく)している父親は、信利がこれから生きて行く人生の行きつく彼方に立っている自分自身の映像なのだ」というのも全く正しい。そんなことを思うと、やりきれなくなってくる。信利の気持ちも理解できるのである。(中略)また、若い老人福祉指導主事は「誰かが犠牲にならなくちゃいけないんだ」と言っているが、人々は、痴呆の老人をかかえたら、「親孝行」と「家庭崩壊」とのバランスをどのように考えるのだろうか。』
『昭和三十六年、国民皆年金の体制がしかれたが、老齢年金というのも、言ってみれば、老人の経済面での扶養を、労働者世代が引き受けるということに外ならない。だから、老齢年金さえあれば、毎日の生活はいちおうは保障されるはずである。また、そのようにしていかなければならない。しかし、それも、心身ともに元気なうちだけである。病弱になり、毎日の生活に他人の手をかりなければならないようになったら、もう老齢年金だけでは生活していくことができない。「茂造」老人のように、日々の介護が必要だからである。』
『当局のねたきり老人対策に対する関心はつとに早く、精粗の差こそあるが、昭和三十五年以来ほとんど毎年その全国調査が行われている。(中略)しかし、痴呆や精神薄弱など、精神障害の老人については、いまだに一回も全国調査が行われていない。問題はプライバシーに深くかかわることであり、調査をするといっても容易でないことはよく分かる。けれども、調査をしなければ実態は分からない。実態が分からなければ社会システムのプログラムは立てられるはずもないのである。』
『振り返るに十余年前の筆者父逝去の後、少なくとも「令和」に入ってより、母の認知症が徐々に顕在化したように記憶する。生来、饒舌(じょうぜつ)で勁烈(けいれつ)な気性をもち、「(他者)を揶揄していた母自身が認知症を発症し、「幼児退行」を伴う重い要介護者となるなど筆者にとり夢にも思わぬ仕儀であった。
『は、およそ半世紀前の日本社会では当然であった、痴呆高齢者への家族自身による「在宅介護」の苦闘を描いたものであった。同書で描かれるように当時は、痴呆高齢者は家族の手に余れば精神病院への入院ぐらいしか考慮されえなかった。しかしその後の科学技術の進歩(医学の発達)は日本人の平均寿命を飛躍的に伸ばし、高齢者人口の急激な増大をもたらした。また家族介護の限界に伴い全国の介護施設数は爆発的に増加した。令和の今、筆者にあるのは現在85歳になる痴呆の母の安否を想う心と、決して小さくない毎月の経済的負担を伴う「施設介護」の行く末である。万一の容態悪化の場合には、介護施設費に加えて医療費や長期入院費、「療養型病院」への転院(現在入所している「老健」は滞在期間に縛りあり)に係る費用なども生じうる。そうした不安を打ち消すように母のいる施設居室へ連日向かわせる行動の深淵には、写経にも似た心の平安を求める自分自身がある。

⇧介護施設居室に設置した電子ピアノを用いて認知症の音楽療法に臨む母は、生来、クラシック音楽のピアノ演奏が生き甲斐
※参考文献
有吉佐和子『恍惚の人』、新潮社、1982年






