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⇧(写真左)大阪市北区天神橋「大阪天満宮」表門の十二支方位盤、(写真右下)大阪市中央区「心斎橋 PARCO」6階オフィシャルショップ「ウルトラマンワールド M78」販売商品を手に取る Wolf(当社海外渉外顧問)

※本稿の内容は筆者の個人的見解であり、筆者が所属する組織の公式見解を示すものではありません。

①干支(六十干支)・還暦と陰陽五行説

来年2026年(令和8年)、1966年(昭和41年)生まれが「還暦」を迎える。「干支」(えと)は、「十干」(じっかん)(10進法)と「十二支(じゅうにし)(12進法)を組み合わせた古代中国に始まる暦法上の用語である。 暦(年・月・日)を始めとして、時間、方位などに用いられる。十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類、十二支子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなる。干支の組み合わせ(十干と十二支の最小公倍数)は60通りあり、これを「六十干支」(ろくじっかんし)と呼ぶ。干支(十干十二支)が60年で一巡し、起算点となった暦の干支に再び戻ることを「還暦」という。

また古代中国では、万物はすべて「陰」と「陽」の2つの要素に分けられるとする「陰陽説」(いんようせつ)と、木・火・土・金・水の5つの要素からなるとする「五行説」(ごぎょうせつ)という思想があった。これらを組み合わせて「陰陽五行説」といった。十干の名称は訓読みでは、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)。五行のそれぞれに「(の)え」・「(の)と」が付いたものである。「(の)え」は「(の)兄姉」を意味し、「(の)と」は「(の)弟妹」を意味する。「干支」(えと)の呼称もこれに由来している。

以下表は「国立国会図書館」(干支①六十干支(ろくじっかんし)干支①六十干支(ろくじっかんし) | 日本の暦 を基に筆者作成。

⇧「大阪天満宮」表門・天井の十二支方位盤

②丙午の迷信・俗説と出生数

1966年(昭和41年)の干支は、上掲表(六十干支)の丙午」(ひのえうま)である。 

陰陽五行説によれば、「丙」も「午」もともに剛強なる陽であって「火」の性格をもち、中国ではその年は天災(火災)が多いなどといわれていた。日本では江戸初期、思い人に会いたい一心から火付け(1682年「天和の大火」の放火事件)に及んだ「八百屋お七」という江戸の町娘がいた。大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者また俳諧師として知られる井原西鶴の『好色五人女』の題材にもなった放火事件である。彼女が丙午にあたる1666年(寛文6年)生まれとの風説から、丙午の年に生まれた女性は気性が激しく、夫を食い殺して寿命を縮めるとの迷信や俗説に変化した。これにより日本では、丙午の年の出産が避けられて、新生児の数が他の干支の年よりも少なかった。

この迷信・俗説は大東亜戦争(対米戦争)後になっても残り、1966年(昭和41年)の出生数は、前年比で約46万人もの減少となる約136万人であった。その反動もあり、翌年「丁未」(ひのとひつじ)の1967年(昭和42年)は新生児の数が前年より約57万人もの増加となる、約194万人となった。

同様に「火」の重なる「丁巳」(ひのとみ)は「八専」(はっせん)の一つである。八専とは、六十干支で49番目の「壬子」(みずのえね)の日から60番目の「癸亥」(みずのとい)の日までの12日間のうち、・辰・午・戌の4日を間日(まび)として除いた残りの8日間をいう。これらは、陰陽五行説による五行の同気(「火火」など、同じ「気」が重なる)が続き、物事が片寄る凶日とされる。同気が重なることを「専一」と言い、それが8日あることから「八専」という。なお、干支の「気」が重なる日は全部で12日あり、そのうち8日が「壬子」から「癸亥」までの12日間に集中している。

以下グラフは「厚生労働省」(人口動態総覧の年次推移h1.pdf を基に筆者作成。※1944年(昭和19年)~1946年(昭和21年)は戦災による資料喪失等不備のため省略

⇧明治32年~令和6年の出生数推移

⇧第1次ベビーブーム以降、現在に至る少子化の流れ

⇧明治後期~大東亜戦争(対米戦争)の流れ

その60年前、明治期の丙午にあたる1906年(明治39年)の出生数は約139万人であり、前年からの減少はわずか約6万人に留まっている。ただし、大阪大学大学院教授で社会学者の吉川徹(きっかわとおる)氏は、著書『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』で、この年の出生数は男児の出生割合が例年より多くなり、逆に前後の年は少なくなっていると述べる。これは丙午生まれの女性に対する偏見を避けるため、女児の出生日を前年または翌年にずらして役所に届け出たためと考えられている。当時の親たちの動機として、神への「生まれ年の祭り替え」の宣言とみる因習行動、あるいは社会的な不利益の回避を図る合理的な選択行動が考えられる、と吉川氏は述べる。

③昭和・丙午と1960年代生まれ

⇧「心斎橋 PARCO」6階、オフィシャルショップ「ウルトラマンワールド M78」

丙午を含む1960年代生まれが小学生の時期は、1970年代前半まで続いた「高度経済成長」期の余韻が社会に残っていた。同世代の二大ヒーローは、変身ヒーローの走りであった「ウルトラマン」(ULTRAMAN)と「仮面ライダー」(Kamen RiderMasked Rider)。このうち、「円谷(つぶらや)プロダクション」制作のウルトラマン(初代ウルトラマン)は、1966年(昭和41年)7月17日から1967年(昭和42年)4月9日まで、日曜19時より全39話が放送された。地球人に手を差し伸べるべく、遠く遥かな「光の国」(M78星雲)から(宇宙船に搭乗せず)生身で宇宙空間を飛来。そして(武器を携行せず)生身で悪の巨大怪獣と戦う正義の宇宙人ヒーロー。劣勢となり胸のカラータイマーが赤く点滅する戦い終盤に、満を持してスペシウム光線(Spacium Beam)で怪獣退治に止めを刺した。その姿は当時の小学生の目に、右肩上がりの強靭な経済発展が続く明るい未来を映し出した。

このウルトラマン世代が長じて社会人となった折、大東亜戦争(対米戦争)の戦前・戦中派およびその下の団塊世代といった年長世代から、「新人類」(年長者には理解不能の若年層の意)と呼ばれることとなる。折しも就職戦線は空前の「売り手市場」に。1985年(昭和60年)の「プラザ合意」Plaza Accordに端を発する「バブル景気」の恩恵を真面(まとも)に享受するも、数年後にはその崩壊に直面している。筆者の認識では20歳代という人生の早い段階で、身の程を超えた「天国と地獄の落差」を味わってしまった感覚である。そしてそれ以降は、(定年までの)終身雇用や年功序列などの「日本型雇用制度」が崩れ、出生率や正規雇用率の低下し始めた社会と歩調を合わせつつ、「失われた20年」という灯(ともしび)の消えた長いトンネルをくぐり続ける。

昭和(高度経済成長)期の企業では55歳定年が一般的であった。日本人の平均寿命は現在ほどに長くなく、また正規雇用率は8割超(※1)の高さにあった。これと比して令和の現在、平均寿命は大幅に延び、雇用環境にも劇的な変化(正規雇用率が6割強に低下)(※2)が生じている。「昭和・丙午」の早生まれ(筆者含む)は、本年2025年度末で60歳定年(正規雇用)を迎える。来夏には、1966年(昭和41年)7月放送開始の初代ウルトラマンにも還暦が訪れる。

半年後に来たる2026年(令和8年)は、60年振りに巡ってくる丙午の年。「令和・丙午」とその世代が次に還暦を迎える2086年頃、21世紀終盤の日本社会と世界はいかなる様相を呈しているだろうか。

(※1)総務省統計局 労働力調査(1990年を参考に推測) 統計局ホームページ/統計Today No.97 
(※2)総務省統計局 労働力調査(2025年5月現在) 統計局ホームページ/労働力調査(基本集計)月次結果

※参考文献

吉川徹『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』、光文社、2025年(令和7年)

著者プロフィール

有田 仁(Jin Arita)

1966年(昭和・丙午)睦月、大阪府堺市生まれの Ultra Generation。有田アセットマネジメント代表取締役、大阪工業大学大学院 知的財産研究科修了。NTT グループ(情報通信)・髙島屋(流通小売)等、三十年余の企業勤務の傍ら、より大所へ活動の場を求め、知的財産分野の学術研究・発表活動や、在日米国商工会議所・クラウドセキュリティアライアンス日本支部等、米国関連団体での公務に従事。

母方祖母の先祖は江戸初期より雲州松江藩(松平家)に禄を食み、遠い姻戚に昭和改元時の宰相・若槻禮次郎も。連載コラム「時論」では森羅万象の領域で、日本(対欧米)の歴史観や伝統的価値観の視座から平成・令和社会への違和感を問う。座右の銘は「温故知新」「和魂洋才」「古今東西」。この1年余、施設の母と肌で触れ合い、脳神経学博士(Wolf)と介護に勤しむ日々に、無上の悦びを覚える自分に気付く。

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