【第110回】「京都哲学研究所」《其ノ五》「人工知能」(AI)に対峙する哲学対話(Dialogue)/Paraconsistent World―生命と IT の〈あいだ〉(1/2)
⇧約10年前に参加した「NTT R&D FORUM 2017」(開催地:NTT 武蔵野研究開発センタ)、2020年からの新型コロナウイルス禍を通じ社会はどう変容したか?
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。

近時、世界中のあらゆる分野(産官学・軍事・文化芸術等)で「人工知能」(Artificial Intelligence、以下「AI」)の開発・実装が過熱し、連日のように新聞紙上等で関連記事が取り上げられる。これの一つの契機として、米国企業「OpenAI, Inc.」による2022年11月の ChatGPT(Chat Generative Pre-trained Transformer/大規模言語モデルを用いた対話型 Generative AI サービス)の公開が挙げられる。またこれは単に AI のみならず、「人型ロボット」(Humanoid Robot)、「無人機」(Drone)や「自動運転」(Autonomous Car)、「Smartphone」(携帯情報端末)や「SNS」(Social Networking Service、以下「SNS」)等、新興技術(Emerging Technologies)の全般に及ぶ。
本稿では、NTT 取締役会長の澤田純氏が2021年(令和3年)に著した『パラコンシステント・ワールド―次世代通信 IOWN と描く、生命と IT の〈あいだ〉』に着目し、様々な分野における有識者と氏との「対話」(Dialogue)形式の内容から一部を取り上げ概観する。本書の構成は、東洋哲学における孔子、西洋哲学における Plato(プラトン)や Aristotle(アリストテレス)と弟子たちとの哲学対話を彷彿とさせる。
【参考】大阪・関西万博テーマ事業 いのちを知る(福岡伸一プロデューサー)(2025年4月28日)
生命とITの<あいだ>
上記は、2025年大阪・関西万博テーマ事業「いのちを知る」プロデューサーで生物学者の福岡伸一氏と NTT 澤田会長による「いのち」についての対談。2つのテーマ「生命と IT という相反するものをつなぐ哲学」と「万博で創り出したい新しい文化」について語られている。

①西田哲学と「京都哲学研究所」
西田幾多郎(にしだきたろう)氏は、戦前から戦中にかけて「西田哲学」/「京都学派」を創始し、代表的著作『善の研究』などで知られる哲学者(京都帝国大学名誉教授)。「西田哲学」は西田氏の家族に起きた、度重なる不幸に遭遇した「哀しみ」から生み出されたとされる。同じく京都大学名誉教授で社会思想家の佐伯啓思(さえきけいし)氏は、著書のいくつかで西田氏を取り上げている。佐伯氏は著書『西田幾多郎―無私の思想と日本人』『自由と民主主義をもうやめる』などにおいて、いくつかの根源的な命題に触れ卓見を述べている。(以下は筆者概括)
■「近代 Liberalism(自由主義)」の失敗
・ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナ、イスラム過激派の台頭、中東の不安定化、中国やインドの大国化とグローバル・サウスの台頭など、リベラルな価値の普遍主義を掲げる、米国(西洋)の Globalism が現在機能していないことは明らかである。
・これは約100年前の第一次世界大戦後に生み出された、米国(西洋)による「リベラルな世界秩序(自由と民主主義を守る Globalism)」と「リベラルな経済運営(市場競争と補完的な福祉主義)」の失敗を意味している。すなわち、「自由」「民主主義」「法の支配」、また公正な市場競争、無難な経済政策を組み合わせて社会秩序を維持しようとする、「近代 Liberalism」の失敗である。
■大東亜戦争(対米戦争)下で説かれた「絶対矛盾的自己同一」
・世界各国の世界史的な使命は、同時に他国の承認を得て、また他国の独自性も承認するという歴史的な意義をもたねばならず、独善的であってはならない。これが西田氏の説く「多にして一の世界」であり「矛盾的自己同一の世界」であった。
・主権国家が多様に個性化する運動と、歴史的世界が一つになって自らを生成してゆく運動、この二つが同時に生じている。すなわち二重の運動が同時に生じる。あるいは硬貨の裏表の様な「同一現象の二つの側面」ともいえる。
■(大学の)「国際化」の真義
・戦前は帝国主義的な状況下、敵国(米国・英国)の本を手にしているだけで「非国民」といわれ、英語を話すなど言語道断という風潮があった。ところが今日まったく逆転し、Global な経済競争に勝つためには、国民を挙げて英語を話せる様にしなければならないという。
・こうした英語教育を否定しないまでも、その前に為すべきことがある。「手段」であるはずの英語が「目的」となっている。まずは自前の日本語で自己を表現し、他人と議論でき、家族や友人と真面(まとも)な会話ができることが先決。
・明治期、文明開化の時代に福沢諭吉公は『文明論之概略』の中で、思慮浅い人は古いものを捨てて国際化を進めれば文明化できると考える。しかしそれは外形だけのことで、日本人に一片の「独立心」がなければ何の意味もない、と記している。
■「無の思想」の概念―「絶対無」(独:Absolut Leere ※筆者訳)
・「絶対無」とは、西洋的な「有(存在)(独:Existenz ※筆者訳)の論理」に対する日本(東洋)の根源的で「絶対的」な概念。西洋では「無」(独:Nicht ※筆者訳)はあくまで「有(存在)」の否定形(非存在)。しかし日本人(東洋)に馴染む「無」(独:Leere ※筆者訳)は必ずしも「有(存在)」の否定ではない。いわば「無」は「有」を包摂し、「有」を背後で支え、「有」も「無」も超越したある境地と捉えられる。[とすれば、数多の惑星や星系(生命)を包み込む広大な宇宙空間(真空)の如き場所か。※筆者の認識]
・実在の究極に、絶対的な存在である「神」を見る西洋的思考では、絶対者(神)は己の「外面」にある絶対的な他者となる。これに対し日本(東洋)的な観念では「絶対的」なものが「無」へ向かい、「私」や「我」を消し去り自己の「内面」(鏡)を深く覗き込むことで、根源的な精神の境地ともいうべき「無」へ行き着く。
・「般若心経」(はんにゃしんぎょう)(※1)の根本教理にある「色即是空(しきそくぜくう)」(※2)「空即是色(くうそくぜしき)」に通底する。
■「無私」と「一期一会」(いちごいちえ)の精神性
・「無」の概念が日本人の行為の理解にも影響を及ぼしている。「私」を消し去ることによる「無私」の行為。そして行為の純粋さそのものに意味を与える。
・「無の思想」では、あらゆる日常の些細な出来事の中にも「一期一会」の邂逅(かいこう)を通した「無」を見る。一瞬で散りゆく桜に「死」や「無」を投射し、生の儚さ(はかなさ)、散り際の美学、時間の過ぎ行く無残さなどを見る。
・ただ「一つ」のものとの邂逅にすべてがあり、「世界」はものによって充満するのでなく「一つ」のものの中に「世界」があると考える。
NTT 取締役会長の澤田純氏は、2021年(令和3年)に『パラコンシステント・ワールド―次世代通信 IOWN と描く、生命と IT の〈あいだ〉』を著した。澤田会長は同著で、二律背反(二項対立)する A も B も同時に存在(実現)する「矛盾許容論理」すなわち「Paraconsistent Logic」について、前述した西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」の概念に近いものと捉えている。
「consistent」とは「矛盾を含まない」(形容詞)との意であり、「inconsistent」とは「矛盾を含む」(形容詞)との意。「矛盾を含む」場合、命題は否定され論理は破綻してしまう。一方「paraconsistent」とは、「矛盾をそのままに許容・包摂した」(形容詞)との意味をもつ。「para」(接頭辞)は「beside」や「parallel 」に近い意味と考えられる(※筆者の認識)。よって「Paraconsistent Logic」とは、二律背反(二項対立)する問題(A か B か)について A/B 間の矛盾をそのままに許容・包摂しながら、A と B の「同時実現」を目指す第三の道(論理体系)といえる。そこでは、命題は否定されず論理も破綻しない。現代社会ではA か B かといった「二元論」(Trade-Off)で解決不可能な事象が数多く存在する。「パラコンシステント・ワールド」においては、それらを解決するため「利他(※3)的共存」の下に企業の成長と社会的課題の解決を包摂し、「同時実現」を目指すとしている。
同会長は西田幾多郎氏と同じく京都大学の出身。西田哲学/京都学派の流れを汲む国内・海外(ドイツ他)有識者の賛同を受け、2023年(令和5年)7月に京都の地で「一般社団法人 京都哲学研究所」 京都哲学研究所 を創設した。同研究所では、「価値多層社会」の実現に必要な哲学思想の構築と社会的課題の解決を目指している。
【参考】「町田徹の経済チャンネル」(2026年2月27日)
なぜICTの巨人NTTが哲学の研究所を設立したのか。驚きの決断を、澤田会長にふかぼりインタビュー
②生命と IT の〈あいだ〉
澤田氏の著書『パラコンシステント・ワールド―次世代通信 IOWN と描く、生命と IT の〈あいだ〉』。その第Ⅱ部「IOWN Dialogue 01 生命と IT の〈あいだ〉」で、同氏は青山学院大学教授で分子生物学者の福岡伸一(ふくおかしんいち)氏との対話を通じ、生命(生物)の営みの本質は「利他性」(Altruism)、また「相補性」(Complementarity)「自律分散」(Autonomous Distribution)にあると述べる。(以下、筆者概括、敬称略)
・(澤田)自動運転の開発で、数十メートル先の信号を判断させるのに7秒要するところ、7秒後ろから来る車に判断させる解決法が考えられる。つまり車同士が相互に連携し、瞬時に最適な動きを「自律分散」的にとらせる必要がある。
・(福岡)それは「利他的」な振る舞いといえる。例えばイワシやヒヨドリの群れは、それぞれの個体が近傍の動きを見て、ある種の量子的な状態を集団が共有している。またサッカーの試合では、個々人の選手が反射的に局所的な状況判断をして動くことが理想とされる。
・(澤田)相互に共生していく社会を築く上で、情報通信技術、例えば SNS はタコツボ化を促し、個々人の好みのものだけに特化するような役割を果たしてしまっている。
・(福岡)遺伝子は自己を増殖することが目的といわれるが、生物は個体のレベルでは常に「利他的」に振る舞うように見える。また生命の「進化」の歴史において、大きな「進化」の飛躍はすべて「利他的」な行為から起こっている。最初の飛躍は「大きな細胞」が「小さな細胞」を取り込み共存し役割分担したことにあった。
③Richard Dawkins 氏『利己的な遺伝子』(The Selfish Gene)
英国の行動生物学者、Richard Dawkins 氏が1976年に初版を刊行した大著『』(原題:The Selfish Gene)。この中で氏は、生物の営みの本質は、「個体」を犠牲にしてでも自分の複製を残そうとする「利己的な遺伝子」であると提唱した。英国の博物学者、Charles Darwin 氏の「進化論」(Evolutionary Theory)によれば、進化はより適応度の高い変異を持った「個体」が他の「個体」との生存競争に勝ち、子孫にその変異を伝える、いわゆる「自然淘汰」(自然選択)によって起こるとされる。この定義に従えば、より「利己的」な「個体」ほど生存しやすく増殖する(子孫を残す)機会が多いと考えられるが、実際には、自分を犠牲にして他の「個体」を生存させようとする、一見、「個体」の利益に直接寄与しないと思える「利他的行動」が多くの昆虫や動物において見られる。
しかし、自分と共通の遺伝子の一部を持つ(遺伝的につながりのある)子孫を生存させることができれば、自分が犠牲になっても自分の遺伝子をより多く残すことができる。つまり、「自然淘汰」の結果生き残るのは、このように「個体」を犠牲にしてでも自分の複製を残そうとする「利己的な遺伝子」であり、生物(個体)はそのために利用される「乗り物」にすぎないと考えることで「利他的行動」も説明できるとした。
理論について述べている。動物は自らの子供だけでなく、遺伝的につながりのある親戚の世話もすると考えられる。英国の進化生物学・理論生物学者の Bill Hamilton 氏によるこの係数において、一卵性双生児では「1」、実子や両親を共有する兄弟姉妹では「0.5」、孫や、一方の親だけを共有する兄弟姉妹、また甥・姪では「0.25」、いとこでは「0.125」という値である。これは祖先から現在に至る、多世代にわたって無数に存在しえる血縁の経路(系譜の歴史学)という観点からも興味深い。
(※1)般若心経:正式には「般若波羅蜜多心経」(はんにゃはらみったしんぎょう、梵:Prajñā-pāramitā-hṛdaya)、「空」(くう)の中心思想をもつ「大乗仏教」の「経典」のうち、最も短く凝縮された一巻でインドの原典を漢語訳したもの
(※2)色即是空:この世の「目に見える万物」に実体はなく、その本質は「空」(くう)/「無」であって時々刻々変化するとの意
(※3)利他(りた):自らの利益や幸福のみを図る(利己的振る舞い)のでなく、それ以上に他者の利益や幸福を気遣い扶助する道徳的価値、キリスト教の「愛」や仏教の「慈悲」、儒教の「仁」などに通底、また一方では、自然環境の「生態系」(Ecosystem)において動植物が相互に依存・影響し合う「共存共栄」の概念
※参考文献
澤田純『パラコンシステント・ワールド―次世代通信 IOWN と描く、生命と IT の〈あいだ〉』、NTT 出版、2021年
Richard Dawkins、(訳)『』(原題:The Selfish Gene: 40th Anniversary Edition)、紀伊國屋書店、2018年
栗原聡(編著)『』、KADOKAWA、2026年
ニュートンプレス『』、ニュートンプレス、2026年
『』(原題:Also sprach Zarathustra)、岩波書店、(上)1967年(下)1970年
『』(原題:Jenseits von Gut und Böse)、岩波書店、1970年
『』(原題:Natural Goodness)、筑摩書房、2014年
品川哲彦『』、中央公論新社、2020年
西田幾多郎『』、岩波書店、1950年
佐伯啓思『西田幾多郎―無私の思想と日本人』、新潮社、2014年
佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』、幻冬舎、2008年
佐伯啓思『さらば、民主主義―憲法と日本社会を問いなおす』、朝日新聞出版、2017年
佐伯啓思『反・民主主義論』、新潮社、2016年
Alexis de Tocqueville、岩永健吉郎(訳)『アメリカにおけるデモクラシーについて』(原題 仏:De la démocratie en Amérique)、中公クラシックス、2015年
Patrick Deneen、角敦子(訳)『リベラリズムはなぜ失敗したのか』、原書房、2019年






