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時論

※本稿の内容は筆者の個人的見解であり、筆者が所属する組織の公式見解を示すものではありません。

「2025年日本国際博覧会」(Expo 2025 Osaka, Kansai, JapanEXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト (以下、「2025年大阪・関西万博」)の開幕まで3か月(90日)のタイミングで、大阪府吹田市は千里丘陵に広がる「万博記念公園」 万博記念公園 を8か月ぶりに再訪しました。2025年(令和7年)に「民営化40年」を迎える「日本電信電話株式会社」(NTTNippon Telegraph and Telephone CorporationNTT / NTTグループ | 日本電信電話株式会社 (group.ntt) グループ(筆者も二十年来勤仕)(以下、「NTT」)。同社は「2025年大阪・関西万博」のパビリオンパートナーとして 「NTT パビリオン」を展開し<体験テーマ>「PARALLEL TRAVEL―パラレル トラベル―」を掲げています。これは「時空を旅するパビリオン」を意味し、次世代情報通信基盤「IOWN」の空間伝送技術により、コミュニケーションの未来に関する展示体験を届けるものです。NTTパビリオン | EXPO2025 | NTT

今回はこれに関連し半世紀以上(55年)の時空を遡り、「1970年日本万国博覧会(Japan World Exposition Osaka 1970, EXPO'70)」(以下、「1970年大阪万博」)当時、NTT の前身にあたる公共企業体日本電信電話公社(NTTNippon Telegraph and Telephone Public Corporation)」(以下、「電電公社」)が展開した「電気通信館」(Telecommunication Pavilion)の嚆矢について触れます。

【参考】 【第7回】「2025年大阪・関西万博」挿話―「1970年大阪万博」(World Expo 1970)遺産の継承《前篇》― | 株式会社有田アセットマネジメント|無形資産・有形資産を適切に管理、運用、保全し、次代へ安全に継承する資産管理会社

⇧(写真上・中)「1970年大阪万博」のシンボル「太陽の塔」、(写真下)万国博記念公園碑と石坂泰三翁像

石坂泰三(いしざかたいぞう)氏は、「逓信省」(現:総務省・NTT・日本郵政株式会社/JP)、「一般社団法人 日本経済団体連合会(経団連)」(旧・経済団体連合会)第2代会長等を経て、「日本万国博覧会協会」会長を務め、高度成長期の財界を主導した所謂「財界総理」として知られています。

⇧「EXPO'70パビリオン」(旧:鉄鋼館)、(写真下/中・右)「平和の鐘」

写真上の右奥に見えるのは「太陽の塔」。「平和の鐘」は「世界絶対平和萬歳」と刻印され、1954年(昭和29年)に財団法人日本国際連合協会理事の中川千代治氏(元・愛媛県宇和島市長)から国連本部に寄贈。「1970年大阪万博」当時、「国連館」 国連館 | 万博記念公園 に展示されていました。

「1970年大阪万博」会場の全体俯瞰模型、会場中央に位置するのは「シンボルゾーン」と「太陽の塔」

⇧「日本館」「電気通信館」遠景(「EXPO’70パビリオン」内の1/300会場模型より)

写真上では、「日本館(日本政府館)」(「1970年大阪万博」シンボルマークである桜の「5枚の花弁」を模した、5つの円形で構成された白い建物日本館 | 万博記念公園  に隣接する「電気通信館」(黄色いテント張りの「待ちデッキ」が特徴の建物電気通信館 | 万博記念公園、手前(西側)に位置する「シンボルゾーン」「太陽の塔」、またその北側に広がる「夢の池」が確認できます。

電気通信館」の出展概要は以下の通りです。
■テーマ:人間とコミュニケーション
■出展:日本電信電話公社、国際電信電話株式会社(国際電電/現・KDDI 株式会社)
■敷地面積:9,600
■設計:日本電信電話公社建築局

■建物(「万博記念公園」ウェブサイト「電気通信館」ページより引用・要約)

電気通信館」は、カメラの蛇腹(じゃばら)の様に長く伸びた黄色いテント張りの「待ちデッキ」「導入空間」「三角広場」「ワイヤレステレフォン室」「技術展示室」から構成されていました。来場者は「待ちデッキ」からエスカレーターで「導入空間」に導かれ、「赤ん坊の空間」「呼びかけの空間」などのある長い通路(約 180 m)を歩きながら、情報化時代に生きる人間とそのコミュニケーションの姿を見る様になっていました。また、「三角広場」は1辺40 m(観客約800人収容)で、三つの大型スクリーンを備え、「技術展示室」は池や植込みのある庭に面したガラス張りの建物でした。

■展示(「万博記念公園」ウェブサイト「電気通信館」ページより引用・要約)
エスカレーターを上りきった最初のドームは「赤ん坊の空間」と呼ばれ、200個のカラーブラウン管に映し出された世界中の色々な人種の赤ん坊の表情や泣き声が、人類の最も原始的なコミュニケーションの姿を表わしていました。次の「呼びかけの空間」では、世界各国語の呼びかけの声が頭上に吊るした約1万6,000 個の送受話器から聞こえ、同時に、光りと音の変化により、幻想的な雰囲気を作り出しました。さらに「呼びかわしの空間」では、世界各国の人々の間で転々と投げ交わされるボール投げシーンが立体テレビ風に映し出され、人間相互間の理想的なコミュニケーションの姿が暗示されました。最後の「交換機の林」では、通路の両側に林立した多数の交換機の出す機械音が陽気なサンバのリズムを奏で、現代社会のコミュニケーションの根底には、メカニズムの働きが媒介していることを表現していました。

「導入空間」を通過したメインホールの「三角広場」では、さ約1,200 ㎡ の三角形の広場のそれぞれの頂点に「Eidophor Screen」(テレビ画像を拡大投影する装置)が設置され、正面のメインスクリーン(横13 m、縦9 m)には東京の特設会場が白黒で、他の2面のサブスクリーン(横6 m、縦4 m)には、九州・種子島と京都の両特設会場の情景がカラーで映し出されました。これは「三角広場」と3地点をマイクロ通信網で結び上映したもので、その内容は4元生中継による立体ショーなどで、来場者がマスコミュニケーションに参加する喜びと臨場感を体験できました。「ワイヤレステレフォン室」では「未来の電話」といわれた「ワイヤレステレフォン」(携帯無線電話機)が展示されました。このホールに隣接する「技術展示室」では、テレビ電話やデータ通信の端末機器など、1970年代当時における最新の電気通信技術の代表的なものが展示されました。

「NTT 技術史料館」 NTT技術史料館デジタルアーカイブ によると、上述の「ワイヤレステレフォン」は「電気通信館」での一般公開を目的に開発され、重量は約700 g、会場内の端末相互による通話と国内通話が可能でした。また世界の天気予報や万博混雑情報も提供、電話計算機能も搭載されていました。「電気通信館」への来場者は約65万人にものぼり、その多くがこの「未来の電話」を体験しました。海外からの来場者も多く、電電公社の技術力を広くアピールすることになりました。この時の来場者の体験の様子が観察・記録されたことで、「ワイヤレステレフォン」のボタンを人差し指でなく親指で押したり、通話ボタンを押して「ツー」という発信音の前にダイヤルし始める傾向などがわかりました。

これらが後の自動車電話や車外兼用型自動車電話(所謂ショルダーフォン)また PHS や携帯電話の、コードレス電話技術や小型化技術の開発に反映されています。「ワイヤレステレフォン」は、「1970年大阪万博」の展示品でその後実用化されたもので最も普及した技術製品といえましょう。当時、昭和天皇、皇后両陛下も「電気通信館」へ臨まれ「ワイヤレステレフォン」を御覧になっています

⇧「日本館」「電気通信館」跡地(東の広場)、遠景に大阪モノレール彩都線「公園東口」駅

「日本館」および「電気通信館」が建っていた広大な跡地は、現在「東の広場」(5.5 ha の芝生広場)として、運動会や各種イベントに利用されています。

⇧西日本電信電話株式会社(NTT 西日本)・万国博ビル

同ビルは「1970年大阪万博」で「電電公社」の万国博電報電話局として建設。会期終了後、現在も NTT 西日本の回線収容局として稼動しています。

⇧西日本電信電話株式会社(NTT 西日本)・万国博ビル

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