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【第22回】東京・日本橋紀行<2/4>―「日本銀行本店(Bank of Japan)」篇―

(【第21回】から続く)

依然厳しい蒸し暑さの残る8月下旬、折しも、米国で開催の「ジャクソンホール会議」や国会「閉会中審査」に植田和男日本銀行総裁が出席の中、東京都中央区日本橋の「日本銀行本店」(ホーム : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp))周辺を訪れました。

⇧日本橋本石町(ほんごくちょう)の「日本銀行本店」(本館)、建築家「辰野金吾博士」による設計、1896年(明治29年)竣工、1974年(昭和49年)国の重要文化財に指定

本建築は銅板葺きの屋根部分正面中央に丸屋根(dome)を頂き、北の主屋と東西両翼部などに切妻屋根を採用、外観装飾にはコリント式(Corinthian)の双柱オーダー(order)が左右対称に配され、中庭の回廊にはドリス式(Doric)の列柱オーダーが並ぶといった、ネオ・バロック様式(Neo-Baroque)にルネッサンス(Renaissance)的意匠が加味された日本的翻案が特徴です。

※出典
「日本銀行」(日本銀行本店の建物について教えてください。 : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)
文化遺産オンライン」(日本銀行本店本館 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

「ジャクソンホール会議」(Jackson Hole Economic Symposium)(Jackson Hole Economic Symposium - Federal Reserve Bank of Kansas City (kansascityfed.org))は、米国「カンザスシティー連邦準備銀行」(Federal Reserve Bank of Kansas City)主催で、毎年8月に西部ワイオミング州(State of Wyoming)谷合いの地「ジャクソンホール」Jackson Hole開かれる経済政策シンポジウムです。ここでは主要各国の中央銀行首脳や経済学者などが参加し、世界経済や金融政策について議論が交わされます。

本年(2024年)は8月22日~24日の日程で開催され、この中で米国「連邦準備制度理事会」(FRB:Federal Reserve Board)のジェローム・パウエル(Jerome Powell)議長は、23日の講演で『The time has come for policy to adjust.』(政策を調整する時が来た)と発言。従前から予告していた、次回9月17日・18日の「連邦公開市場委員会」(FOMC:Federal Open Market Committee)での利下げについて追認する姿勢を示しました。

また国内においては同日、国会「閉会中審査」の「衆議院財務金融委員会」および「参議院財政金融委員会」に、植田和男日本銀行総裁が鈴木俊一財務大臣とともに参考人として出席。この中で同総裁は、7月末の追加利上げ決定は、経済や物価が既往の見通し通りに推移したほか、輸入物価によるインフレの上振れリスクが高まったことに対応したものとの説明を行いました。また8月初めの、日経平均株価が歴史的乱高下を記録した金融市場の不安定化については、経済指標の下振れを受けて米国景気の悲観論が急速に拡大(およびその後に修正)した点が主因との見方を示しました。一方、為替市場の円高化(円安の修正)については、日本銀行による追加利上げ(政策変更)の影響も示唆しました。

同総裁はまた、市場は引き続き不安定な状況で極めて高い緊張感を持って注視すると述べるとともに、今後の政策運営については、市場動向が経済・物価に与える影響を見極めつつ、金融緩和の度合いを調整する基本的な姿勢は変わらないと述べ、日本銀行が目指す「2%」の物価安定目標が実現する確度が高まれば、再び利上げする姿勢をあらためて示しました。国会「閉会中審査」に日本銀行総裁が出席するのは異例であり、国内においても、次回9月19日・20日の「金融政策決定会合」の行方が注目されます。

⇧「日本銀行本店」分館(日本銀行金融研究所)内の「貨幣博物館」(貨幣博物館 (boj.or.jp)

「日本銀行金融研究所 貨幣博物館」は日本銀行創立100周年を記念して1985年(昭和60年)に開館、貨幣に関する歴史的、文化的な資料を収集・保存し、それらの調査研究を進めつつ、広く一般に公開しています。同館所蔵資料の中核となっているのは、古貨幣収集家・研究家である「田中啓文(けいぶん)氏」が、我が国の古代から近代にいたる貨幣のみならず、中国を中心とした東アジアの貨幣や関連資料をも収集した、「銭幣館」(せんぺいかん)コレクションです。これらの収集資料は戦火による喪失を避けるため、1944年(昭和19年)日本銀行に寄贈されました。

折しも本年7月3日には、新紙幣(日本銀行券)が発行され、一万円、五千円、千円の3券種が改刷となりました(※1)。これは前回2004年(平成16年)11月1日以来、20年ぶりの改刷となります。新一万円札の肖像には、その生涯において、「第一国立銀行」(現:株式会社 みずほ銀行)や「東京商法会議所」(現:東京商工会議所)、「東京株式取引所」(現:株式会社 日本取引所グループ 東京証券取引所)をはじめ、約500におよぶ企業設立等に関わり、「日本資本主義の父」と称される「渋沢栄一公」が選ばれました。

紙幣等の製造(印刷)は「独立行政法人 国立印刷局」(国立印刷局ホームページ (npb.go.jp))の所管であり、同公はその初代「紙幣頭」(現在の理事長にあたる)に就任しています。一方、硬貨等の製造は「独立行政法人 造幣局」(造幣局 (mint.go.jp))の所管であり、当時閉鎖状態にあった香港造幣局の機械一式の購入に尽力し、その創業に貢献したのが、「東の渋沢、西の五代」と並び称された実業家「五代友厚公」(Tomoatsu Godai)でした。同公をはじめとする発起人により1878年(明治11年)に設立された「大阪株式取引所」は「大阪証券取引所」の前身にあたります。

(※1)改刷:国立印刷局(新しい日本銀行券特設サイト|TOPページ (npb.go.jp)

⇧「日銀通り」「江戸桜通り」を挟み「日本銀行本店」「日本橋三越本店」に隣接する「三井本館」、1929年(昭和4年)竣工、1998年(平成10年)国の重要文化財に指定

日露戦争後、「三井家」が取り組んだのが統括組織と各事業の法人化でした。その結果、決定したのが(1)「三井同族11家」(6本家・5連家)の当主のみを出資社員とする「合名会社」の設立、(2)「三井銀行」「旧三井物産」の株式会社化、(3)「三井鉱山」を三井合名鉱山部とすること、などでした。全体の資産を統合して本社を「合名会社」とし、傘下に株式会社化した子会社を置く形は、イギリスの「ロスチャイルド家」(Rothschild)に見られるコンツェルン形態(konzern)でありました。こうして1909年(明治42年)、日本初の持株会社である「三井合名会社」が設立されました。

「三井財閥」の本拠地として建設された本建築は、「壮麗、品位、簡素」をコンセプトとした「American Beaux-Arts」と呼ばれる米国の新古典主義様式によるものです。威風堂々たるコリント式(Corinthian)大列柱(order)が整然と並ぶ外装のすべてには、花崗岩が使用されています。本建築には「三井合名」をはじめ「三井銀行」「旧三井物産」「三井鉱山」「三井信託」など、「三井財閥」の直系各社が入居し、本社機能が集約されました。三井発祥の地である日本橋で建設された本建築は、当地で1世紀近くにわたって同社の歴史を見つめています。

※出典
「三井広報委員会」(三井本館 | 三井広報委員会 (mitsuipr.com)
持株会社「三井合名」設立 | 三井広報委員会 (mitsuipr.com)
「日本橋三井タワー」(三井本館について|三井本館 Mitsui Main Building TOKYO (mitsuitower.jp)

⇧「三菱UFJ銀行」日本橋支店(室町支店・日本橋中央支店と併設)、同店も「日銀通り」「江戸桜通り」を挟み「日本銀行本店」「日本橋三越本店」「三井本館」に隣接する一角に立地

(【第23回】へ続く)

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