【第46回】日本神話の神々《其ノ二》初代・神武天皇(First Emperor of Japan, Jinmu)と建国伝承《後篇》―紀元節(Empire Day)と橿原神宮―

※本稿の内容は筆者の個人的見解であり、筆者が所属する組織の公式見解を示すものではありません。
①橿原神宮と金鵄伝承
「紀元節(Empire Day)」(建国記念日)の2月11日、今冬一番の寒波の中、奈良県は橿原市の「橿原神宮」 橿原神宮 – 橿原神宮の公式ホームページです。橿原神宮は、奈良県橿原市にあり、御祭神として日本の初代天皇・神武天皇(じんむてんのう)と媛蹈鞴五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)をお祀りしております。ホームページでは、当宮の御由緒、歴史、祭事・行事、境内のみどころなどをご紹介しております。 を参拝しました。橿原神宮は日本建国の聖地とされ、初代「神武天皇」と皇后「媛蹈韛五十鈴媛皇后」(ひめたたらいすずひめこうごう)が御祭神として祀られています。また「大和三山」の一つ、霊峰「畝傍山」(うねびやま)(標高:約199m)東南の麓(ふもと)に位置し、大東亜戦争前のまま護持された約53万㎡(約16万坪)の宮域には、約7万6,000余本の樹木が生い茂っています。
「日本書紀」および「古事記」の伝承によると、「神日本磐余彦火火出見天皇」(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)(※1)は、日向(ひむか/現在の宮崎)の「高千穂の宮」から瀬戸内海を東に進んで難波(現在の大阪)に上陸、生駒の豪族「長髄彦」(ながすねひこ)に阻まれ南下して熊野へ回りました。そこに飛来した「八咫烏」(やたがらす)(※2)<日本書紀では「金鵄」(きんし)(※3)>に導かれて吉野の険しい山を越えて大和に入ります。周辺の勢力を従え最後に宿敵・賊軍の長髄彦を倒して大和を平定(神武東征)。「紀元前660年2月11日」(皇紀元年/辛酉年1月1日)に畝傍山の東南、「橿原宮」(かしはらのみや)(皇居)にて、第一代天皇「諡(おくりな)・神武天皇」に即位されたとあります。
天皇家は世界最古・最長の万世一系(ばんせいいっけい)による王家・王朝(Dynasty)で、令和の今上陛下(諱・徳仁/なるひと)で第126代となります。「日本書紀」および「古事記」の伝承によると、2,600年以上の歴史を有し、実在が確かな天皇から数えても世界最古・最長といえます。6世紀前半に実在し血筋の連続性が確かとされる、第26代「継体(けいたい)天皇」から数えても100代、1,500年以上を経ています。
明治に入り、「橿原宮址」(かしはらのみやあと)に神宮の創建をとの請願が民間有志から起こります。これに深く感銘を受けられた明治天皇は、「京都御所」内の「天照大御神」が祀られていた「内侍所/賢所」(ないしどころ/かしこどころ)を御本殿として、また「新嘗祭」(にいなめさい)が執り行われていた「神嘉殿」〈しんかでん〉を拝殿として下賜(かし)されました。こうして1890年(明治23年)4月2日、官幣大社(かんぺいたいしゃ)・橿原神宮が御鎮座、創建となりました。1940年(昭和15年)2月11日の紀元節には、「紀元二千六百年奉祝紀元節記念大祭」が挙行され約70万人が参拝。同年6月11日には昭和天皇が御親拝されています。
(※1)神日本磐余彦火火出見天皇:日本書紀における諱(いみな)
(※2)八咫烏:古事記における神武天皇東征の際、熊野から大和へ入る山中を導くため「高御産巣日神」から遣わされたとする、3本足の大きな烏(からす)(Three-legged Raven)
(※3)金鵄:日本書紀における神武天皇東征の際、熊野から大和へ入る山中を導くため「天照大御神」から遣わされたとする、金色に光り輝く鳶(とび)(Golden Kite)

⇧(写真上)第一鳥居、第二鳥居と約300mを有する表参道の様子、(写真右下)南手水舎(ちょうずや)

⇧(写真上)広大な「外拝殿」(げはいでん)前庭と背後に佇む畝傍山の景観
②紀元祭の斎行(紀元二千六百八十五年)

⇧紀元祭が執り行われる「内拝殿」(ないはいでん)の様子
「紀元祭」(きげんさい) 紀元祭 – 橿原神宮 は、橿原神宮の御祭神である神武天皇が大和橿原宮で第一代天皇に即位されたことに由来し、例祭として毎年2月11日、天皇陛下の御名代である「勅使」(Imperial Envoy)(※4)参向のもとに斎行されてきた最重儀です。同祭典は「勅祭」にあたり、勅使により天皇陛下からの「御幣物」(ごへいもつ)が御神前に供えられ、御祭文が奏上されます。また全国から「御奉賛」(ごほうさん)が寄せられます。本年(紀元二千六百八十五年)は、約3,300名におよぶ参列者で盛大に執り行われました。「大東亜戦争(対米戦争)後80年」を迎える本年、境内は大小の国旗(National Flag)「日章旗/日の丸(Hinomaru)」「旭日旗」を携える人々で埋め尽くされました。
(※4)勅使:勅旨を伝えるために天皇陛下が発遣(差遣)する使者

⇧「幣殿」(へいでん)へ参向する、古色蒼然(こしょくそうぜん)たる勅使の一行

⇧「辛櫃」(からひつ)に納められた御幣物の奉献
辛櫃は檜(ひのき)材の作りで、菊の御紋の入った緑色の布で覆われています。また御幣物は「幣帛」(へいはく)(布帛など)を指します。

⇧「外拝殿」前庭の「さざれ石」、奉納:岡山県金光町 金光太郎氏
国歌(National Anthem)『君が代』(Kimi ga yo)―君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで―
ここに登場するさざれ石(細石)(Pebbles)は元々「小さな石」「細かい石」を指し、これらの集まった隙間に炭酸カルシウム等が入り込み「一つの大きな塊(かたまり)」となっています。悠久の歴史の中で「小さな石」が集まりできた「岩/巌(いわお)」に苔(こけ)が生じる様に、「国民一人一人」が結束して「国」が末永く栄え平和である様にとの意味が込められています。
【参考】日本神話の系図(主に「古事記」表記を参照し筆者作成、薄青:男神/薄赤:女神)※内容は適宜、精査中につき未完成 家系図をエクセルで作る方法を動画で解説!無料テンプレート付き! | 家系図作成の家樹-Kaju-


※参考文献
『神武天皇の歴史学』、2024年(令和6年)、外池昇、講談社