【第107回】永田町「国立国会図書館」(National Diet Library)叩扉(こうひ)《中篇》/「国立公文書館」所蔵資料と「ドイツ帝国大使館」
※本稿内容は筆者の個人的見解であり、筆者所属組織(現在および過去)の公式見解を示すものではありません。
(執筆中)
(【第106回】から続く)
①国立公文書館(National Archives of Japan)
「独立行政法人 国立公文書館」(National Archives of Japan) 国立公文書館 は、国の行政に関する公文書を収集保管し、一般に公開することを目的として設置された行政執行法人(特定独立行政法人)である。根拠法は「国立公文書館法」。 国立公文書館法 | e-Gov 法令検索 同館は総理府(現・内閣府)の附属機関として、1971年(昭和46年)東京都千代田区北の丸公園に開館、敷地は皇居の北部に隣接している。1998年(平成10年)には茨城県つくば市(筑波研究学園都市)に「つくば分館」が建設された。従来、各官庁の公文書はそれぞれの官庁に分散していたが、これを一括保存・公開するために国立公文書館に移管された。その際、徳川幕府以来の古文書・古書を含む「内閣文庫」の所蔵資料が吸収された。内閣文庫は1873年(明治6年)太政官に置かれた「図書掛」に始まり、1885年(明治18年)の内閣制度創始と同時に内閣文庫となった。
同館の所蔵資料は2025年(令和7年)3月末時点で約175万冊に上る。公文書を閲覧できるように閲覧室に常設、また常設展や企画展にて公開している。2001年(平成13年)には国立公文書館の組織として「アジア歴史資料センター」 アジア歴史資料センター が開設された。同センターでは、近現代の日本とアジア近隣諸国等との関係についての歴史資料を公開、国立公文書館および外務省外交史料館、防衛省防衛研究所図書館など国の機関が保管するアジア歴史資料をデータベース化し、インターネットなどを通じて情報提供を行っている。



⇧公文書デジタル画像の複写展示、「教育勅語」文部科学省移管文書・御署名原本

⇧(左上)「大日本帝國憲法」御署名原本(右上)「教育勅語」文部科学省移管文書・御署名原本(左中)「日本国憲法」御署名原本(右中)「普通選挙法」公文類聚(左下)新元号「昭和」の発表・御署名原本(右下)「昭和」の出典
②ドイツ帝国大使館
現在の「国立国会図書館 東京本館」が建っている敷地には、大東亜戦争(対米戦争)前は「ドイツ帝国大使館」が所在した。 ドイツ大使館 | 錦絵と写真でめぐる日本の名所 | 電子展示会 residenzgarten-data.pdf 日本とドイツが交渉を持つようになったのは、1860年(万延元年)7月にプロシア使節の Friedrich Eulenburg 伯爵が品川沖に来航してからのことである。徳川幕府は、同12月にプロシアと修好通商条約を結び、プロシアは日本に公使館を置くことが認められた。プロシア公使館は、初めは横浜の外人居留地に置かれ、ついで麻布に置かれた。1871年(明治4年)にドイツ帝国が建国されると、プロシア公使館はドイツ帝国公使館となり、翌1872年(明治5年)に新たな公使館の建物が麹町区永田町(現在の千代田区永田町)に建てられた。
しかし当建物は、1894年(明治27年)の地震で被災したため、英国の建築家 Josiah Conder の設計により、煉瓦造り2階建ての建物が1897年(明治30年)に完成した。その後ドイツ公使が大使に格上げされたため、同建物もドイツ帝国大使館となった。当敷地は梨木坂を挟んで陸軍省の通用門に面しており、また南の大通りの向こうには1936年(昭和11年)に完成した「国会議事堂」があるなど、日本の立法府や軍と隣り合わせの、きわめて重要な場所に位置していた。1945年(昭和20年)5月の空襲で同大使館は焼失し、戦後は他のドイツ関連資産と同様、同大使館の土地も GHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令官総司令部)の接収対象となった。






